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平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVERのdm10foreverのレビュー・感想・評価

4.0
【サンタクロースを信じる我が息子】

久しぶりに5歳の息子と劇場で映画観賞。
やっぱり「仮面ライダー」っていう響きって、日本人(特に男性)のアイデンティティかのように条件反射的に「カッコいい」って思っちゃいますね。
僕自身も年甲斐もなく全員集合のカットに萌えてしまいました(笑)

物語自体は現在TVで進行している「仮面ライダージオウ」とその前のシリーズ「仮面ライダービルド」の世界観を前提に進んでいきますので、最近見始めた息子でもついていける安心設計。かといって最近のシリーズを見ていなかったファンにとってもグッと来るシーンが散りばめられていて、それはそれでおいしい。

ただ、根底に流れるテーマとして「ヒーローの存在意義」みたいなところを、割とビターなテイストで練り込んでいるので、ライダー達の大活躍を期待している子供たちからすると「悶々タイム」がちょっと長く感じたかもしれないね。
うちの息子も途中「カクン」と落ちかけてたし(笑)。
でもその辺に関しては単に「大人も見る」という前提とかはあまり関係なく、寧ろ「平成最後のジェネレションシリーズ」という位置づけで考えると、いい形での総括が出来たんじゃないかなとも思う。

『仮面ライダーなんてホントはいないんだ。僕の空想でしかないんだ』
事件のキーとなる少年アタルが、ソウゴ(ジオウ)と戦兎(ビルド)に対して告げるシーン。
それを観た時にハッとした。

(これって直接的じゃないけど、デッドプールでやろうとした「第四の壁」への挑戦と同じだよな)と。

当たり前だけど、TVを観ている我々は「仮面ライダー=ヒーロー」は「空想の存在」という事は理解している、一応。
でも「あの世界観」の中ではキチンと存在していて、正義の為に悪と戦っている。
「TVを観ている私たちの世界」と「ヒーローたちの世界」は、見た目は似ているけれども決定的に違う「パラレルワールド」なのだ。
そしてその「ヒーローたちの世界」の中に、アタルという「こちら側」の存在を立たせることで「第四の壁」を「壊す」のではなく「線で結んだ」のだ。
そこでアタルに「仮面ライダーはいない」と言わせることで、我々の「大人の感覚」をぶつけることになる。
その上で「虚構か否かは問題じゃない。1人でも僕たちを必要と思ってくれている人がいる限り僕たちは存在し続ける」という、ヒーローとして100点の回答を返す。それはアタルに対してだけではなく、スクリーンを通して観ているこちら側に対して。

ちょうど2日前に「ミスター・ガラス」で『ヒーローは存在するのか?』という内容に触れたばかりだったこともあり、個人的にはとてもタイムリーな内容。
そもそもアプローチの方法も結論の出し方も大前提も違う作品だけど、子供のような純粋な目で観てみたとき、そこにはバカバカしいくらいに真っ直ぐにヒーローを信じていたピュアな自分もいたなって思い出した。
夏になればオバケにビビり、冬になればサンタクロースに願い事をする。自分もそんな子供だった。

でも今となっては「本当にいるかどうか」なんてのは「信じるか信じないかは~」でいいと思う。もしかしたら変わった能力を持った人間がいてもいいじゃない、くらいに。

言わば仮面ライダーシリーズは親から子へ、そしてまた次の代へと繰り返されるジュブナイル的な要素も含んだ作品でもあるんだろうなと思った。

映画を観終わった息子は「マジ、カッコいい!超カッコいい!」と暫く言い続けていました。彼の中には確かに「ジオウ」や「ビルド」がいて、沢山の平成ライダー達が命懸けで世界を救ってくれていました。
それでいいんだな・・って。
いつか、彼が自分の子供とヒーローものを一緒に見るとき、一体何を感じるんだろう?
そして大はしゃぎする自分の子供をみて、やっぱり微笑ましく見守るんだろうな。
できれば、その頃も仮面ライダーやってて欲しいな・・・。
「じいちゃんの頃はV3って奴がカッコよくてな・・・」って話もしてやりたい。
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