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記憶にございません!のsanbonのレビュー・感想・評価

記憶にございません!(2019年製作の映画)
3.7
"三谷印"の安定コメディ。

良い意味でも悪い意味でも「三谷幸喜」作品は"安定"という言葉がとても似つかわしい。

これはもはや、"日本の伝統芸"と言っても過言ではない程、ある種の"ブランド"として確立されているものなのだから、"観客側が"それを弁えたうえで鑑賞に臨むべきなのだ。

例えて言うなら、"狂言"や"歌舞伎"や"落語"や"講談"なんかも、古語が難しくて訳わかんない箇所があっても、その雰囲気も全部ひっくるめて楽しんだ"体験"自体がステータスと感じるように、三谷作品もそれと比肩して考えた方がしっくりと面白がれる筈だ。

そして、三谷幸喜の生み出す笑いはあくまで原則"ベタ"なのだから、そもそも論として求めるべきは"新しさ"ではなく、"ロジカル"なまでに根底から変わらぬ"古典的"な面白さでなくてはむしろ困る。

とは言いつつも、汚職に塗れた今の政界を皮肉り倒した"時事ネタ"を今回題材として選んだのは、三谷幸喜にしては"今風"な痛快さはあった。

ただ、そのネタに関しては「中井貴一」に「記憶にねえんだよ!」と言わせる"ワンアイデアのみ"で話を膨らませたのであろう事が分かってしまう程には、構成が若干お粗末であったと言わざるを得なかった。

というのも、この映画の冒頭から序盤にかけてが、本当に"一個も笑えなかった"からだ。

今作は、ダメ総理である「黒田」が病室で目覚めるところから話が始まる。

そこからあれよあれよと話は進み、記憶喪失のまま公務をなんとか乗り切っていく展開へと発展して行く訳だが、ここまでの一連の流れが完全に観客を"置いてけぼり"にしているとしか言いようがない。

まず、観客としては「史上最悪の"性悪総理"が記憶喪失に陥った事により"善人"になる」という「ギャップ」を応用した笑いを求めて劇場に足を運んだ筈なのに、始まってみればスタート地点から既に善人としての黒田総理が登場してしまうのだ。

そして、記憶を失った黒田同様、観客も訳の分からないまま黒田を取り巻く生活環境の"説明シーン"に放り込まれるものだから、理解の追いつかない状況で小ボケを連発されてもポカーン状態となってしまい、全く笑う準備が整わなかった。

本来なら、序盤に"悪黒田"を十分見せた後、一転して善人に生まれ変わる所に"笑いの転換点"が生まれる筈なのに、その"お膳立て"をまるっとすっ飛ばして話を始めてしまったのだから、こうなる事は致し方無い。

勿論、過去の「国会答弁」や「ニュース映像」を用いて、黒田の悪態をいくつかは垣間見る事は出来るのだが、それだけではやはり掘り下げは足りておらず、せっかくの設定もフルに活かしきれていなかったのだが、おそらく三谷幸喜が劇中で登場する以上の、あくまで"ダーティー"ではない"悪い総理大臣像"を思い付く事が出来なかった為、思い切って割愛したのかな?なんて勘ぐってしまうくらいには、出だしがイマイチ過ぎた。

しかし、そこからは無事に盛り返して、記憶喪失という設定を活かした"ズレた会話劇"を上手く演出出来ていたし、善人になった事で事態がみるみると好転していく"カタルシス"も観ていて気持ちが良かった。

あとは、三谷作品特有の最後には悪人まで全員巻き込んで"大団円"に物事を運んでいく「The喜劇」な構成は流石の一言。

これぞ"ベテランの仕事"である。

勿論、しんみりとさせるちょっとした感動エッセンスも忘れずに取り入れているので、中盤以降はいつもの「大物芸能人達による学芸会ノリ」の安定した三谷作品を楽しめた。

まさか、三谷作品に"リアリティ"を求めるお馬鹿さんはいないとは思うが一応言っておくと、三谷映画は基本「翔んで埼玉」の描く"埼玉県"のような感覚で観れないと正直しんどいと思うので、今回描かれる政治絡みのあれやこれも、そこはそのつもりで観る事をオススメする。

いささか「最高傑作」であるかは疑問の残るところだが、個人的には「マジックアワー」以来の上質なエンターテインメントコメディではあったと思う。

ちなみに、エンドロールにて「天海祐希」の名がクレジットされているのだが、どうやら序盤の「定食屋」のシーンでテレビに映っている「おんな西郷」という架空のテレビドラマの"西郷役"が天海祐希らしいので、これから観る方はお見逃しなく。

これは、前情報がないと500%気付けない。
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