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ドンバスのKuutaのレビュー・感想・評価

ドンバス(2018年製作の映画)
3.8
お前らにはウクライナとロシアの区別もつかんだろという挑発的な見せ方

知識ゼロで行ったので「ロズニツァってドキュメンタリーの人だよね???」と混乱したが、この半年至るところで「映画のよう」という言葉を聞いた訳で、虚実の区別がぶっ壊れた感覚を、2018年の時点で劇映画にしていたんだなと。

パンフレットが充実している。渋谷哲也氏によるブレヒトとの比較が面白かった。私の理解でまとめると、ロズニツァの狙いはジャーナリスティックな告発でも、ロシアをカリカチュアした政治的主張でもない。現実の舞台に演劇を放り込む事で、作品のフィクション性を際立たせ、観客と作品の間に距離を作る(対置させる)事にある。観客は目の前の暴力に感情を安住させるのではなく(それではプロパガンダと一緒)、現実の解釈の可能性に絶えず頭を巡らせる事が求められる。

(渋谷氏の次に寄稿している上田洋子氏の、「現実に対し演劇が出来ることは?」という問いへの回答にもなっているのかなと。作品と現実をイコールで結ばなかった、フィクションだからこそ出来る抵抗)

どんな主張も一瞬で相対化され、フェイクと罵られる。宗教団体の語る救済→スマホを盗んだ兵士への体罰→スマホを押収しまくっている分離派、のようにテーマがつながり、一つの嘘が別の嘘の土台となる泥沼へ、観客を引きずり込んでいく(前のシーンの断片的な映像がスマホやテレビを通して見える演出)。

視点の移行が今作を支えている。地下の避難所では、ドキュメンタリーのような主観ショットの長回しから、母を迎えに来た女性のパート、劇映画へとシームレスに移行する。閉ざされたドア側からの作為的な切り返しに、さっきまでいた場所との断絶を意識させられた。検問所の前で空爆に遭う場面は、主人公がカメラに映らず、最も主観に近い。

ラストは再びドキュメンタリー調の長回しへ。主観でもなく、劇映画らしい編集もない。中空に投げ出され、「現実」を定点観測するカメラは、泥沼のどん底、虚実の狭間で暴力と無力感が再生産される様子を捉えている。76点。
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