せめて一つでも、ホッと息を吐ける救いがあれば...。
映画で、ゲームで、たぶんコミックでも、圧倒的な存在感と危険な魅力を出してきた、ジョーカー。
今作の彼は、まさにあのシーンさながら、重い足取りで長い長い階段を上っていくような人生。
出るぞ、出るぞと思ったが狂気は出てこず、心もとないよすがを頼りながら、心優しさを保っている。
おかしいな。サイコじゃない。
しかし、そのよすがが一つ、また一つと崩れ消える中、不条理への反発が衝動的に暴発し...。
ふっ切れた覚醒。重だるく上っていた階段を軽やかに踊り下りる。
ジョーカーが語る言葉に、共感してしまいそうになる。誰もが、鬱々とした現実をぶっ壊したいという気持ちを持っているのではないだろうか。
でも、ちょっとしたことでも、救いになることや希望があって、何とか暮らしていけているわけで。
抑圧に対する暴発とも言える事件が最近多々見られるのは、ほんの少しだけの救いがなかったからなのかな、などと考えてしまった。
アメコミのキャラ映画だけど、Marvelとはまた違う独特の重暗さを背負った、ダークナイトにも通じるDCの名作映画だと思う。(ダークナイトではジョーカーは完全に仕上がっていたけどw。)
ホアキンフェニックスがあまりにも凄まじい演技力なので、本当にジョーカーになっちゃったんじゃないかと心配になったw。