たなか

オオカミの家のたなかのネタバレレビュー・内容・結末

オオカミの家(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

まさにMärchen。
前情報を入れずに観たので、昔かじったことのあるドイツ語が聞こえてきて意外だった。

同じくドイツ語でまとめられているグリム童話は創作ではなく民間伝承の収集だと聞いたことがある。
『オオカミの家』もまさに現実がMärchenの形をとって、親しみやすい顔をして、私たちを覗き込んでいるように感じた。
(今思えばチリでドイツ語が聞こえてくる時点で何か気づいてもよかった)

Märchenに現実をパックしている。作者は多分、どこまでも遠くに届けたいし遺したい現実があるのだ。

上映中、ずっと誰かに見られているような心許なさがあったので、多分ずっと酷い顔をしていたと思う。
ラストに急にプロパガンダであったことを見せつけられてえ、ハッピーエンドなんだっけ?と一瞬混乱させられた。

子豚に手足が生えて服を着せるシーンが気持ち悪くて、四つん這いになった人間と豚のグラデーションが受け入れ難かった。
差別とは「設定」さえあればこんなにすんなりと感じてしまうものかと怖くなった。
子豚は実は人間なのかな、と心では思っていたのに、いざ人間じみてくるとすごく嫌な感じがあった。豚という「自分とは異種である設定」に納得してしまったら、その正体が何だとしても後から同種とは認めにくい。
自分は冷酷な一面を持っているのだと改めて思う。
このことは、あの夢みたいなストップモーションで描かれていなかったら気付けなかった。

本作がずっとどこか落ち着かなくて不気味さを感じるのは、『オオカミの家』で語られるMärchenと現実との時間軸がすごく近い、あるいは同じだからではないかと思う。
近所で起きたニュースを聞くように、五感で受け取る情報以上に、その時代に生きるものとして恐ろしさの匂いがわかるのだと思う。

そういう側面を持っているから不穏さ、不気味さが全編に漂っているように記憶してしまっているが、実は結構気持ちいいポイントもあった。
ぱたぱたと場面が転換していくときに鳴る乾いた音なんかは気持ちいい。
耳にねっとりと残る登場人物たちの囁き声に対して、からっとした転換音が聞こえてくると、まるで事態が好転するように感じられる気がした。(残念なことに気のせいである)

私は何か作品の題材があるときに、何があったのか過去を知りたいと思ってしまう。
だけどあえてMärchenとして受け取ることで、今自分につながる嫌悪感とか今誰かが感じている閉塞感に思いを馳せることができた気がする。
その意味で私は本作を大変よいMärchenだと思う。
たなか

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