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ジョジョ・ラビットのKuutaのレビュー・感想・評価

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
3.2
ファーストカット、鏡に映ったジョジョの姿が何度か切り返されるが、観客にはどちらが実像か分からない。

父親のいない彼は脳内の父親としてヒトラーを敬愛しており、ヒトラーの登場によって曖昧だったカメラの視点=彼の世界は安定する。

キャンプのシーンでは、ナチスの監視下で美しく統御されたシンメトリーな絵が続く。だが、彼はある出来事をきっかけに左右対称の隊列を飛び越え、片方の顔に傷を負う。こうしてナチスの画面構成に不和が生じ、彼は異なる世界への扉を開く。

右に走り始めたジョジョは、同じ通りを左に戻ってラストを迎える。傷が治り、この経験を完全に自らと一体化させた時、彼の眼前に鏡のような対称の世界は待っていない。「背丈の合わない他者」を何度も強調してきた演出が、玄関の小さな石段と共に花開く。

(中盤のあるシーンでは、目線の違いをそのまま抱きしめる事がこの上ない悲痛さを生んでいる)

障害者もナチスの迫害の対象となった。ジョジョは傷を負って自分が劣った人間になったのではないか、気にかけている。プールのシーンでは、四肢を失った兵士がリハビリに励む一方、子供達はナチの制服姿で窒息しかけている。

クレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)は制服を着崩し、小さな差異を見逃してくれる。同性愛を隠している?「スリービルボード」と同じような役だなと思った。

アカデミー助演女優賞にノミネートされたスカーレット・ヨハンソンは、何の偶然か主演女優賞ノミネート作のマリッジ・ストーリーと同様、靴紐を結ぶ母親を演じている。自身の考えを無理に押し付けず、自由のあり方を説いていく理想のような母親であった。

音楽にはディズニー作品でお馴染みのマイケル・ジアッキーノ。ビートルズに始まりデヴィッド・ボウイで終わる明快さもそうだが、小さな物音と劇伴が繋がっていく演出が決まっていた。

評価が極端に割れている今作。私としては物足りなかった。

ヒトラーの設定は今作最大の特色だと思うが、活躍は序盤がピーク。後述するがもっと活かしようがあったと思う。ユダヤ人を匿う後半の展開は目新しさに乏しく、会話で話の勢いが弛緩してしまう場面も目立つ。

ビートルズへの熱狂と同じで、どんな国でも起こりうる寓話としてこの映画は作られていると思う。10歳の男の子に180度世界が変わる衝撃を味わせる、かなり酷なストーリーである。そのキツさをここまできれいにまとめてしまう事自体、あまり好きになれなかった (リメンバー・ミーにも同じ不満を抱いたのを思い出した)。

今作とどこか似ている「この世界の片隅に」では、すずさんは天皇の終戦の言葉に慟哭していた。歴史に否定されたヒロイズムと向き合う映画と言えば「グッバイ、レーニン!」という名作もあった。

こうした作品と比べると、自分の合わせ鏡兼父親も蹴り飛ばせば終わり!という今作の結末は薄味に感じる。

全体主義を敢えて美しく描く作品だとは思うが、終盤に向けて「父」の醜悪さにどう気付くのか、ジョジョの内的葛藤がもっと見たかった。

ジョジョの頭の中だけのヒトラーという格好の設定があるのに、今作では、戦況の悪化に合わせてヒトラーは露骨に悪人になっていく。結局、今の観客の「ナチス=悪」という歴史的常識をなぞり、そのレールにジョジョを乗せただけに見える。ナチスという使い古された題材を持ち出すからには、もう少し工夫の仕様はなかっただろうか。

例えば、ナチスに傾倒する隣人との対話を通じて「誰の心にも宿り得るヒトラーの恐ろしさ」を描けば、今の時代状況にもマッチした、より新しくて普遍的な映画に仕上がっていたはずだ。もう一度書くが、今作は自分と向き合う話だと最初に示しているのだから。64点。
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