監督も自由だし、キャストも自由にできるんだという映画。
ヒットを宿命付けられたマーベルユニバースの監督に抜擢され、ユニバースという制約や、万人に受けるものという制約などに縛られていたワイティティ監督。
ここでは、表現も自由奔放に、準主役であるヒトラーまで嬉々として演じている。
また、同じくマーベルユニバースでは「ブラック・ウィドウ」としてニヒルなヒーローを演じていた、スカーレット・ヨハンソンが子供思いの元気な母親を、このところは演技派として活躍しているサム・ロックウェルが憎めない軍事教官を、自由に演じている。
楽しそうだ。
この表現の自由(プログラム・ピクチュアの呪縛からの解放)と演技の自由という開放感(解放感)が、この作品の雰囲気を形作っているのだろう。
ワイティティ監督、母がロシア系ユダヤ人をルーツに持つ。
スカーレット・ヨハンソンの新作『ブラック・ウィドウ』もロシア出身だし、ユダヤ人というところでも一致する。
興味深い。
ナチスにヒトラーというテーマなので、心配があったが杞憂だった。
楽しくて、やがて哀しくて、また楽しい。そんな映画体験だった。