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Magic Hunter(英題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Magic Hunter(英題)(1994年製作の映画)
4.9
[少女が大人の世界を受け入れるとき] 99点(OoC)

イルディコ・エニェディと言えば私の中で最高の監督の一人でキューブリック、タルコフスキー、ベルイマンに並んで鑑賞作品全てがオールタイムベストに入るという偉業を成し遂げている。彼女の長編はデビュー作「私の20世紀」(1989)、世紀末のパリに奇跡の存在を提示した監督三作目にして私的エニェディベスト「シモン・マグス」(1999)、18年ぶりの新作として金熊を受けた監督四作目「心と体と」(2017)に加え、忘れられた監督二作目である本作品(1994)があるのだ。

物語はオペラ『魔弾の射手』に緩く基づいており、六本の必中の矢と七本目の悪魔の矢をリボルバーの弾丸=六発に置き換えたのは天才的発想。でもリロードしてて草。物語は『魔弾の射手』パート、追われる者=真理たりえる者の寓話、戦時中の挿話に分けられる。警察官の主人公マックスが森で人質を間違えて撃ってしまい、復帰試験のために怪しい同僚カスパールから必中の弾丸をもらって試験に合格。新たにロシア人チェスマスターのマキシムを秘密裏に護衛する任務につくと、彼はマックスの妻や娘と偶然親しくなる。この寓話を基軸に、追われるウサギが聖母マリアによって匿われる挿話と戦時中に空襲を地下室で避ける母娘の挿話が混ぜ合わされる。私の解釈では『魔弾の射手』の方が挿話であり、戦時中の母娘パートが本編であり、母が娘に語った物語がふたつの挿話になって映像化しているのだと思う。娘が戦争という極限状態のもと母親に『魔弾の射手』の寓話を聞かされ、それを受け止めたのが最後"悪魔の銃弾"を超カッコよく止めたあの姿に重ねられるのではないか。

確かに挿話間の繋がりが薄いのは分かる。それが前作「私の20世紀」の特徴であったから。加えておじさんと若い娘という永遠のテーマも花開き、カラーになったことで「シモン・マグス」への橋渡しとなる。これだけで十二分にエモい。ただ、エモいってだけで"過渡期である"ということが必ずしもプラスに働くとも言えないし、実際そこまで惹かれる部分はなかったのも事実である。粗を探すといくらでも発見できるし、「私の20世紀」や「シモン・マグス」に比べるとショットや物語の強度及びその美しさは弱い。エニェディっぽさは残っているので、恐らく別の作品の評価に本作品の評価が埋もれている気がする。許して。

マックスが凄くデヴィッド・ボウイっぽいんだけど、プロデューサーとしてボウイが本作品に関わっていたと知って驚いている。マックスの演技が大根であることに批評家の非難が向かっている気もするが個人的にはそこまで気にならなかった。ただ、周りにいる役者の方が優れているのは確かで、特にロシア人チェスマスター役のカイダノフスキーが滅茶苦茶カッコよくて鼻血出た。「私の20世紀」のヤンコフスキーしかりタルコフスキーに憧れていたのだろうか。

エニェディの新作の情報が出てきているが、個人的には新作を楽しみにする気持ちと寡作でいてほしい気持ちで複雑。
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