真田ピロシキ

マルモイ ことばあつめの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

マルモイ ことばあつめ(2018年製作の映画)
4.2
1年半ぶりに映画館に行った。8月15日を目前に控えた日本人としては戦争に関する映画を見ようと思ったのですが、戦争被害の映画を見て分かった気になるより加害が描かれた映画も見るべきと思い本作を選択。題材が朝鮮の言葉だけに毎日続けてる韓国語学習のモチベーションを保つにも良いと思ったんですよ。

『タクシー運転手』の脚本家オム・ユナの監督作である本作。なりゆきで関わった主人公が当初は行動に否定的で次第に積極的に関わっていくのは同じ。主人公のパンスは字が読めなくとも全く気にしていないが、子供の通う中学校では創氏改名を進めると共に朝鮮語の使用が禁じられて民族的アイデンティティの剥奪は着々と進められている。朝鮮語学会で雑用として働く上で渋々ハングルの読み書きを習い始めたパンスが習得するにつれて運動に主体的に関わって行くのが一つのポイント。こうなる前の日本語でも朝鮮語でも同じ意味ならどっちでも良かった頃のパンスなら"カネヤマ"にあんな寂しい目をしただろうか?またハングルが読めるようになったパンスが街中の看板を読んで歩くシーンはあたかも今まで見えていなかった同胞を見つけるような姿と言えてその後の運動拡大と連なって見える。韓国語学習者としては行動に共感を覚えるところで単純に楽しいシーンでもあった。どんな言語でも共通する喜びだよね。

『タクシー運転手』や『1987、ある闘いの真実』などに倣い昨今の韓国闘争映画らしく前科者の労働者達や郵便配達員、遠方の読者など名もなき人たちの助けにこそスポットライトを当てられているのが力強い点。1人の10歩より10人の1歩。物事を始めてるのは一握りのインテリであるが、インテリだけで遥か先に行ってしまうのではなく皆で歩みは遅くとも進む方が結果的に早い。日本軍が言うところの雑草の抵抗はそう易々とは刈り尽くせないと言っているかのよう。

しかしそう言えるのも映画を見ている現代人としてはあと数年すれば日本が負けると知っているからであって渦中の人に取ってはいつ終えるとも知れない苦境の連続。30年前には朝鮮は自由になれると訴えていた朝鮮語学会リーダー ジョンファンの父があと何年続くか分からない現状に耐えられなくなって親日派に鞍替えした事に日帝支配の重さがある。親日派のしこりは日本がいなくなってからも残り続けた事を考えると、電車の横柄な男や日本軍といった直接的な暴力を振るっていた連中よりもこの父親の苦悩にこそ日本の加害を強く感じさせられた。

レジスタンス映画なので人死にのあるシリアスな作品だが同じくらい軽くもある。鞄を盗んだパンスをジョンファンが追うシーンは音楽のおかげでコメディタッチ。これが後半のどシリアスシーンで引用される。それと最初はお互いを嫌い合っていたパンスとジョンファンが唯一無二の相棒へと成長していく様子は刺さる人が多いかと思う。戦争ドラマにしてコメディにしてサスペンスにしてバディと見所が一杯。堅そうな映画と思って敬遠するのは勿体ないです。