Habby中野

天気の子のHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

これが『君の名は。』と『すずめの戸締まり』の間にあることに最初混乱した。〈時間と空間に対する、(日本人にとって共鳴性のある高校生の姿をした)主人公によるその越境〉を通して、瞬間的で私的な〈いま、ここ〉の揺らぎ、かつてあった・あるいはここではないどこか他にある〈いま、ここ〉への地平的で普遍的な眼差しと弔い─つまるところはそれによる彼岸からの此岸の肯定、を描くのが新海誠の追究でありそのための連作だと勝手に解釈していたから。『天気の子』ではそれが目に見えないから。描写されるのは非人力・非人工の象徴である天気の暴走と、逃亡、偽り、オカルト、そして個人の救済と引き換えに起こる世界の崩壊”だけ”だ。

だが、目に見えないが存在しているものがある─オカルトな話ではなくて─800年前の天気の神子の物語、200年前海辺だっところの江戸の姿、それを伝えるメディウムは〈語り〉だ。
語られる〈いま、ここ〉”ではない”物語。この映画の本当の姿は語ること、語られることによってのみ現れる、みずみずしい半透明な身体だ─降ることによってのみ存在が認められる雨水のように。
そうか、今回越境したのはほかでもない過去なのだ。「すでにあった」性質そのものが、裏側から現在の何事をも肯定する。変化はその前後があるからこそ語られる。

「世界なんてさ どうせもともと狂ってんだから
ぼくたちはきっと大丈夫だ」

この映画には母親が登場しない。彼らは皆何から生まれたというのだろう。子猫のように拾われたのか。それとも本当に天気の神子だとでも言うのか。もしそうだとしたら、人が神の子でだけあるのならば、世界を擲つ自暴自棄も許される。
前後の無い存在、文脈のON・OFF、温かく優しい孤独。ぼくたちはきっと大丈夫だし、世界なんてもともと狂っている。逃亡と偽りと語りの不安さと前後の無さは〈いま、ここ〉だけを固く保証する。世界なんてもともと狂っているから、ぼくたちは大丈夫。
Habby中野

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