きょんちゃみ

野性の呼び声のきょんちゃみのレビュー・感想・評価

野性の呼び声(2020年製作の映画)
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【ジャック・ロンドン著『キーシュ』の私訳】

 キーシュは、極地の海のはずれに住んでいた。キーシュは、エスキモー式の時間の数え方で言うと、13個の太陽を見たことがあった。エスキモーのあいだでは、毎冬の太陽は去っていき、地を暗闇にかえてしまうことになっている。そして翌年、再び暖かくなるように、新しい太陽が戻ってくるのだ。
 キーシュの父親は、勇敢な男だった。しかし彼は、食料のための狩りの最中に亡くなった。キーシュは、彼の一人息子だった。キーシュは、イキーガという名の母親とともに暮らしていた。
 ある夜、首長クロシュ・クワンの大きなイグルーで、村の会議が開かれた。キーシュは他の人たちと一緒にそこにいた。キーシュは耳を傾け、そして沈黙が訪れるのを待っていた。
 そこでキーシュは次のように言った。「あなた方はたしかに、いくらかの肉を僕らの家族に分けて下さっているけれども、その肉はたいてい古くて固くて、骨ばかりです。」
 狩人達はそれを聞いて驚いた。子供が狩人達に生意気な口をきいたからである。子供が一人前の大人のように発言するなんて!
 「僕の父ボークは、偉大な狩人でした。ボークは、いちばん腕のいいふたりのハンターのどちらよりも、多くの肉を家に持って返ってきていて、しかもボークは、全ての人が平等な分け前を受け取れるように肉を分けたと言います。」と、キーシュは言った。
 「おい!何を言うか!」と狩人らは叫び、「その子供をつまみ出せ!寝かしつけろ。子供が老人に向かってこんなふうに文句を言うとはけしからん!」と続けた。
 キーシュは、騒ぎが止むまで待ってから、次のように言った。「アー・グルック、あなたには妻がいますね。だから、あなたは妻のために話していらっしゃる。でも、僕の母には僕しかいないんです。だから、僕が僕の母のために話しているんです。僕が言ったとおり、ボークは優れた狩人でした。しかし、そのボークももういない。この場合、部族が肉を得た時には、ボークの妻である母イキーガと、ボークの息子である僕が、肉の分け前を受け取るというのが、公平というものです。ボークの息子キーシュが、こう意見を述べたのです。」
 ふたたび、首長のイグルーの中で、大きな騒ぎが起こった。会議は、キーシュにもう眠るようにと命じた。キーシュにはもう食料をいっさい与えないということについてさえ、会議の議題は及んだ。
 キーシュは跳ぶように立ち上がった。「聞いてください!僕はもう二度とイグルーの会議で発言するつもりはありません。父、ボークのように肉を取るために、僕は狩りに出かけます」と、キーシュは叫んだ。
 キーシュが狩りについて発言すると、盛大な笑いが起こった。キーシュが会議から退出する間も、その笑い声が止むことはなかった。
 翌日、キーシュは大地と氷が接する海岸に向け、出発した。キーシュが出かけるのを見届けた人達は、キーシュが自分の弓と沢山の矢を携えているのを見た。キーシュの肩には、父親の大きな狩猟用の槍がかつがれていた。この姿を見て、またも、笑いが起こった。
 1日が過ぎて、そして次の日も過ぎた。3日目はひどい強風であった。キーシュの消息はなかった。キーシュの母イキーガは、彼女の悲しみを表すために、アザラシの油を焼いたものを自分の顔に塗った。村の女たちは、小さな男の子が狩りに行くのを許したことについて、夫らをなじった。男たちは何も答えなかったが、キーシュの遺体を探すための準備をしていた。
 次の日の明け方のことであった。キーシュは村の中に歩いて入ってきた。彼の肩には、新鮮な肉が担がれていた。「犬を連れ、そりでゆきなさい、男らよ。僕の足跡を辿り、1日進むのです。」とキーシュは言った。「これよりもさらにたくさんの肉が氷の上にあるんです。雌グマと、それからその2匹の子グマの肉ですよ。」
キーシュの母は、とても喜んだ。キーシュは、一人前の男のような顔をして、「こちらにいらしてください、イキーガ。さあ食べましょう。そしてその後、僕は眠ります。僕は疲れていますから。」と母に言った。
キーシュが彼のイグルーに帰ったあと、たくさんの議論がなされた。クマを殺すというのは、そもそも危険なことであった。しかし、子グマを連れた母グマを殺すというのは、さらにその3倍も危険なことだった。男たちは、キーシュがそのようなことを成し遂げたとは、信じなかった。しかし、女たちが例の新鮮な肉を指さした。最終的に、男たちは残された肉を取りに行くことに合意した。でも、それは彼らにとってあまり愉快なことではなかった。
ある男が、もし仮にキーシュがクマを殺したのだとしても、恐らくキーシュは肉を細かく切り分けるところまではしなかっただろうと言った。ところが、男らが狩場に到着した時、男達はキーシュが、クマを単に殺したというだけではなく、まさしく一人前の狩人のように、細かく切り分けることさえやっていたのだと分かった。
 こうして、キーシュについての謎が産まれた。
 キーシュは次の旅で、若いクマを殺した。そしてさらにその次の旅では、大きな雄グマと、その連れあいのクマを殺したのである。
 すると村には、魔法と魔術の噂が流れた。ある人は「キーシュは悪霊と一緒に狩りをしている。」と言った。そしてまた別の人は「恐らく彼の父親の霊がキーシュと一緒に狩りをしているんだ。」と言った。
キーシュは相変わらず、村に肉を運んで来た。キーシュを偉大な狩人なのだと考える人達もいた。老いた首長クロシュ・クワンの後継には、キーシュを据えるという話もあった。彼らは、キーシュが会議にやって来ることを願って、待っていた。しかし、キーシュは会議には決して現れなかった。
ある日、キーシュは次のように言った。「僕はイグルーを建てたいのです。でも、その時間がない。僕の仕事は狩りをすることだからです。だから、もし僕の肉を食べている村の皆さんが、僕のイグルーを建ててくれるなら、公平になるのですが。」とキーシュは言った。それでキーシュのイグルーが建てられた。このイグルーは、首長であるクロシュ・クワンのそれよりもさらに大きいものであった。
 ある日、アー・グルックはキーシュに「お前さんが悪霊と一緒に狩りをしていて、そしてその悪霊が、お前さんがクマを殺すのを手伝っているなどと言われておるぞ。」と話した。
 「それでその肉は美味しくないんですか?」と、キーシュは答えた。「これまで村の誰かがその肉を食べた後に病気にでもなりましたか?いったい何を根拠に悪霊が僕と一緒だなどと言っているんです?それとも、そんなことを言うのは、単に僕が良き狩人だからですか?」
 アー・グルックは何も答えなかった。
会議はキーシュとその肉の件について、夜がふけるまで議論した。それで会議は、キーシュをこっそりと見張ることに決めた。
キーシュが次の狩りに出かけるとき、ふたりの若い狩人、ビムとバウンが、キーシュのあとをつけた。5日後、彼らは帰ってきた。そのふたりの話を聞くために会議がまた開かれた。
 ビムは次のように語った。「兄弟たちよ、俺たちはキーシュの後をつけた。そしてキーシュは俺たちに気づかなかった。1日目、キーシュは大きなクマに出くわした。キーシュはそのクマに大声で呼びかけた。クマはキーシュを見て、怒り出した。クマは足で高く立ち上がって、唸った。ところがキーシュは、そいつに近寄って行ったんだ。」
 そこでもうひとりの狩人、バウンが言った。 「そう、俺たちは見たんだ。その熊はキーシュめがけて走り出した。それでキーシュは逃げた。でもキーシュは、逃げながら、ちいさく丸い球を氷の上に落としていったんだ。すると熊は立ち止まって、その球の匂いを嗅いで、それを喰ったんだ。キーシュは逃げ続けて、氷の上にどんどんその球を落として行った。そして熊は、キーシュを追いかけ、その球を食べていった。」
 会議の参加者たちは、すべての言葉を聞き漏らすまいと、耳を傾けた。ビムが話を続けた。「するとその熊は、急にまっすぐに立ち上がって、苦痛で叫び声をあげ出したんだ。」
 「悪霊だ」と、アー・グルックが言った。
 「それについては分からない」、とバウンは言った。「俺にわかるのは、この両目に映ったものだけだ。やがて熊は弱って行き、それでその熊は座り込んでしまって、鋭い爪で自分の毛を掻き毟ったんだ。その日は1日中、キーシュはその熊のことを見張っていた。」
 「そこから3日間、キーシュは、その熊をの見張りを続けた。熊はどんどん弱っていった。キーシュは用心深く熊のところに近づいて、そしてそいつに父親譲りの槍をぶっ刺したのさ。」
「それから?」と、クロシュ・クワンが尋ねた。
「それから、俺らはそこを離れたのさ。」
 その午後、会議では話し合いが重ねられた。キーシュが村に着いたので、会議は使者をキーシュのもとに送り、会議に来るようにと頼んだ。しかしキーシュは、疲れているし、お腹も空いているのだと言った。キーシュは、もし会議を開くために話し合いの場が入用だというのならば、キーシュのイグルーは大きくて、大勢の人が中に入れるだろうと言った。
 クロシュ・クワンは、会議の人々をキーシュのイグルーに連れてきた。キーシュは食事中だったが、彼らを歓迎した。クロシュ・クワンは、ふたりの狩人がキーシュがクマを殺すところを見たと告げた。それから、真剣な声で「我らは君がどうやってそのクマを殺したのかが知りたいのだ。魔法や魔術を使ったのかね。」とキーシュに尋ねた。
 キーシュは上を向いて、微笑んだ。「違います、クロシュ・クワン。僕はただの男の子ですよ。魔法や魔術なんか全く分からない。でも僕は、クマを殺す簡単なやり方を見つけたんです。これは魔術じゃなくて、知恵なんです。」
 「ああ、キーシュよ。我らにそれを教えてくれるかい。」とクロシュ・クワンは震える声で尋ねた。
 「教えますとも。とても単純なんです。見ててください。」
 キーシュは、細いクジラのヒゲを1本、拾い上げた。その先端は、ナイフのように鋭くて、尖らせてあった。キーシュは、ヒゲを輪の形になるように曲げた。突然、キーシュは手を離した。すると、ヒゲは鋭いパチンという音を立てて真っ直ぐになった。そして彼は、アザラシの肉の塊を手に取った。
 キーシュは次のように説明した。「さて、まずは鋭くて細いくじらのヒゲの欠片で、輪っかを作ってください。それで、この骨の輪を、アザラシの肉の塊の中に入れるんです。そしてそれを凍らせるために、雪の中に入れてください。それで、内部に輪が入っているこの肉の球を、クマが食べます。この肉がクマの体内に入ると、肉が温まります。すると骨は、パチンと真っ直ぐになるというわけです!鋭い先端部のせいで、クマは具合が悪くなる。そうなれば、そのクマを殺すのは容易いことです。ほら、単純でしょう。」
 アー・グルックは「おお!」と言った。クロシュ・クワンは「ああ!」と言った。その場にいた各々が自分なりの仕方で唸り声をあげ、そしてみな、納得したのであった。
 これが、ずっと昔に北極海のはずれに住んでいた男、キーシュの物語である。彼は魔術ではなくて、むしろ知恵を使ったことによって、最も貧しいイグルーから身を立て、その村の首長にまでなったのであった。そしてその後何年もの間ずっと、キーシュの村の者達は幸せだった。ひもじさゆえに夜ごと泣く者は、ひとりとしてなかった。
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