tanayuki

9人の翻訳家 囚われたベストセラーのtanayukiのレビュー・感想・評価

3.7
うすうす気づいてたのだけど、これは見る人が見ると、かなりキツい作品で、「お前には才能がない」と宣告されたエレーヌが自死をはかった時点で一時停止してしまった。

クリエイティブにはいくつもの段階があって、真っ白なキャンパスにはじめて物語を紡ぎ出す「0→1」のクリエイターの存在感は圧倒的で、それ以外の人たちは「0→1」を創造する真のクリエイターのおこぼれで生きていると言ってもいいくらい。このヒエラルキーは絶対的で、「1→10」を担うライター・翻訳家・編集者がどうがんばっても乗り越えられない壁となって立ちはだかる。

著者に対するリスペクトを失った編集者・ライターほど厄介な存在はなく(ヒット作を量産するベストセラー編集者&ライターほど身のほどをわきまえず万能感をもってしまいがち)、間違いなく近い将来、増長しきった自意識のために、手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。

「0→1」をつくる人、間口を広げるために「1→10」をつくる人、できあがったものを誰よりも先に受け取って「10→100」に広げる人、流行りものに飛びついて「100→1000」で盛り上げる人、流行ってるからという理由でその存在を知り、「1000→10000」を構成するマジョリティ。クリエイティブの度合いは後ろに行くほど小さくなって、「あれオレがつくったんだよ」「あれオレが広めたんだよ」というアレオレ詐欺も成立しなくなっていく。

だが、その人に存在価値がないかというと、そんなことはまったくなくて、より多くの人に届けようという努力なくしてヒット作は生まれないし、新しもの好きのアーリーアダプターの存在なくしてヒットの種は発火しない。ファンあってのベストセラーだから、どのタイミングでどんな理由で受け取ったかに関係なく、作品に触れた人はすべて作品の評価を決める構成要素の1つになっている。

では、二次創作は? 先行作品の存在を前提としているから「0→1」ではない。だが、「1→10」を長年仕事にしてきた自分の感覚に素直になると、自分よりもクリエイティブ寄りだと感じる。「1→1.5」ないし「1→2.5」とでもいうような。結局「0→1」を担える存在は世の中に1%どころか、おそらく0.01%(1万人に1人)、0.0001%(100万人に1人)くらいしかいない。

それでも「0→1」を目指すのか。これは何かを生み出そうともがき苦しんだことのある人に突きつけられた永遠の課題で、諦めきれないこと(どんな状況下でも向上心を失わないこと)が人類進化に寄与しているはずと思って自分を慰めるだけの人間にはなりたくないなあ。諦めるなんて選択肢は自分にはないってほうがしっくりくる。

結局「0→1」を生み出しているのはただ1人(本物の著者)で、版元の社長も、ファン代表の文学少女も、誰よりも早く結末を知りたくて原稿を盗んでしまう翻訳家たちも、普及を担う書店主も、この作品に関する限りでは「0→1」のクリエイターが創り出したエコシステムを構成するメンバーにすぎない。そこには越えられない壁があるのに、メロビンジアンはその壁を越えられると勘違いしてしまったんだね。万能感をもってしまった版元の人間の勘違いが生んだ悲劇。

△2021/10/10 ネトフリ鑑賞。スコア3.7
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