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落下の解剖学のtanayukiのネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

人里離れて雪に覆われた山腹の家で夫が転落死したのは、事故か、自殺か、それとも妻による殺害が原因か。現場にいたのは死んだ夫と妻と、その時間、盲導犬とともに散歩していた視覚障害をもつ息子だけ。物的証拠が限られ、目撃証言も得られないなか、妻と夫が不仲で、夫が精神的に追い詰められていたという間接証拠ばかりが積み上がる。はたして妻は有罪なのか、無罪なのか。

この作品がリーガルサスペンスとして秀逸なのは、最終的に判決が出たのにもかかわらず、一件落着という感じはまるでなく、むしろ疑惑が深まった気がするところ。鑑賞後どっちつかずのまま放り出されて、モヤモヤを抱えてしまった人は多かったと思うが、なにしろ母親を演じたザンドラ・ヒュラ―本人が自分は有罪なのか、無罪なのか、わからないまま演じていたというのだから、わからなくて当然なのだ。夫婦や男女関係のもつれなんて、そんなにきれいさっぱり白黒つけられるもんじゃないよ、というジュスティーヌ・トリエ監督の声が聞こえてきそうだ。

「撮影現場で、ヒュラーは自分が演じるキャラが有罪なのか無罪なのかをトリエに何度も尋ねたが、監督は答えを拒否した。トリエは最終的には折れて、ヒュラ―に無罪として演じるように指示を出すが、ヒュラ―自身は答え(真相)は知らないので、トリエはのちに「とても卑劣なやり方だった」と語っている。2024年1月、ゴールデングローブ賞のプレスルームで、ジャーナリストがトリエに、ザンドラは夫を殺したのかどうか尋ねたところ、トリエは「10年後に話す」と答えている。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Anatomy_of_a_Fall

おおかたの人には、限りなく黒に近いグレーに感じられたのではないかと想像するけど、それでも裁判が結審したのはなぜか。それは一人息子のダニエルの最後の証言が陪審員の心をつかんだから。ダニエルは明確な証拠が何もない状況で、母親を殺人犯として断罪するか、それとも無罪放免とするか、自分の心を決めなければならなかった。そしておそらく、こう結論づけたはずだ。

母親は直接手を下して父親を殺したわけじゃない(法律的には無罪)。が、父親の自殺に関して、母親に非がないわけではない(道義的責任はある)。父親が弱いだけの人だったとしても。

子どもが大人になる通過儀礼の1つに、親が聖人君子でも、力強くて立派な父親でも、やさしいだけの母親でもなく、ただの(時には醜悪なまでに人間くさい)人間だったと気づく瞬間というのがあって、ダニエル少年はこの裁判で確実に大人になった。ダニエルにとってはきわめてビターな経験だったと思うが、それによってダニエルはこの先もきっと、我の強い母親とうまく折り合いをつけて生きていけるだろう。ダニエルは母親を無条件に赦したわけじゃない。ただ、犯罪者ではないと思っただけだと。

見ごたえがあったのは、検察がザンドラの犯罪を立証しようと、なんでも夫のせいにして自分の非をまったく認めようとしない彼女の態度や、夫の弱点(たしかに彼にはツッコまれるところが多かった)をあげつらい、相手を叩きのめすまで口を閉じようとしない彼女の執拗な攻撃ぶりを強調して、「ああ、たしかにこの女は人でなしですわ」と思わせておいて、弁護士が検察の主張をことごとく「主観的な決めつけ」にすぎないと覆していくシーン。立場が変われば、同じ現象もまったく違って見えるということをこれくらいダイレクトに、インパクトをもって描き出す手腕は見事というほかない。それはあたかも、詳しい事情も知りもしないのに、パッと見だけで「こいつは悪人に違いない」と決めつけ、正義の味方にでもなったつもりで勝手に断罪し、勝手に裁いて悦に入っているネット民たちの底の浅さをあてこすっているかのようだ。

だが、弁護士の切り返しがどれだけ鮮やかだったとしても、やっぱりどこか腑に落ちない感じが残ってしまうのは、ザンドラという人物の立ち位置がきわめてあいまいなことも、微妙に影を落としているように思った。「ドイツ人妻がフランス人と結婚してフランス国内で(おもに)英語を話す=ドイツ人俳優がフランス映画で(おもに)英語を話す」というシチュエーションがもつ頼りなさがボディーブローのように効いてきて、どこか不安にさせるのだ。と思ったら、やっぱりこれも監督の意図どおりで、先の引用と同じ英語版Wikipediaに次のような記述がある。

「自分の国ではない国で裁判を受けることは非常にタフな経験になりえます。自分が語ったことで裁かれるのに、母国語で話しているわけでないため、自分とそれをとりまく現実のあいだにたくさんのフィルターがあるからです。彼女が英語を話し、フランス語も話そうと努力しているすドイツ人であるという事実は、多くの仮面を作り出し、問題を曇らせ、彼女が誰であるかについてより多くの混乱を生み出すのです」
https://en.wikipedia.org/wiki/Anatomy_of_a_Fall

自分が考えるようなことは全部トリエ監督はお見通しということで、まことに恐れ入った次第だが、彼女はこの設定を、イタリア・ペルージャにおけるイギリス人留学生殺害事件(通称アマンダ・ノックス事件)からヒントを得て着想したという。犯人とされたルームメイトのアメリカ人アマンダ・ノックスと、その恋人ラファエレ・ソッレチートは、一審で有罪、控訴審で逆転無罪、最高裁が二審判決を棄却したため再審の結果ふたたび有罪、ところが被告が上告して最高裁でふたたび逆転無罪となる。二転三転の裁判劇は大きな注目を集め、報道も加熱した。そりゃそうだろう。過去に何度か映像化され、ネトフリにはアマンダ・ノックス本人が出演するドキュメンタリーフィルムもあるらしいので、今度見てみよう。

で、驚いたのは、フランス留学中に殺人事件に巻き込まれた娘を救おうとアメリカの田舎の無骨な父親が奔走する『スティルウォーター』が、アマンダ・ノックス事件にフリーライドしたとアマンダ本人から批判されていると知ったから。彼女いわく、

「ノックス本人は自らのTwitterにおいて本作(とその制作者らが)自分の冤罪事件の実話を利用して不当に利益を得ていると批判し、その上で「私の無実、私の完全な無関与をフィクション化し、私の不当判決における当局の役割を消し去ることによって、マッカーシーは、有罪で信頼できない人間としての私のイメージを強化している」と述べている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

ところで、裁判終了後ザンドラと弁護士のヴィンセントのあいだに何かあったら、もっと真っ黒なイメージになったかもしれないなと思って見ていたのだけど、やっぱりこれも監督のてのひらの上の出来事だったみたいで、そのつもりで2人の情事も撮影されていたというから、さらにビックリ。

「この映画にはサンドラと弁護士ヴィンセントのセックスシーンが含まれるはずだったが、プロデューサーのマリー・アンジュ・ルシアーニがこのシーンを「80年代的」すぎると判断したため破棄された。ヒュラーはルチアーニの決定に同意して、「どうして人はいつもベッドに行くことで愛し合っていることを証明しなければならないの? つまらない!」と語った」
https://en.wikipedia.org/wiki/Anatomy_of_a_Fall

ザンドラを裁くのは自分の役目じゃない。ダニエルにはその権利があったかもしれないが、彼は条件つきで赦しを与えたのだから、自分は黙っておこっと。

そういえば、盲導犬スヌープを演じてパルム・ドッグ賞を受賞したボーダーコリーのメッシは、アカデミー授賞式の会場にも来ていたね。

△2024/03/12 109シネマズ二子玉川で鑑賞。スコア4.6

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