銀幕短評(#425)
「わたしは光をにぎっている」
2019年、日本。 1時間36分。
総合評価 69点。
女の子が 自分の光をもとめて それをにぎりしめるはなし。全編の引きのカメラがいいですね。彼女がほんとうに光をにぎるシーンが とりわけいい。
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さきの火曜日に、大学院生の女の子に 相談ごとがあると、呼び出されました。もちろんお昼をごちそうしたわけですが、彼女のなやみは就職活動でした。体調をくずしてスタートダッシュで出遅れたので、プロセスにうまく乗れないというのです。
就活ならわたしの得意分野です。事務所の採用担当を 3年くらいは やったので、ずいぶんたくさん面接しています。ああすればいい、こう答えればいいとジュンジュンと説明すると、それらをまずまず納得してくれます。
と、彼女はめずらしいことをいいます。どこの会社を受けても(なぜか彼女は一流どころの会社ばかり受けています)、こう質問されるのです。
あなたは どういうおとなになりたいですか? と。
つまらないことを訊くなあと あぜんとする 、たわいないオープンクエスチョンです。こうも答えられるし、ああでもいいよ、と話していて、うんそうだと まえに書いた「カンパニー・メン」(#354、72点)の所感を見せました。つまり わたしのスマホを。
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ひとは パンのみのために働くのでは決してない。そうでなければ、1日の3分の1も 2分の1も過ごす職場は まるで牢獄のように感じられるだろう。
裁量の発揮、達成感、貢献感、成長感、周りからの称賛といったものが得られないのであれば、それは単なる金銭報酬を得るためだけの機械作業に堕落する。
つまり、
「働くことは、生きること」
である。
また、自分に合う職業を見つけ出すのに余りにも こだわりすぎること、あるいはすでに決まった(あるいは 就いている)職業に納得していないこと、で 悩みわずらうことは バカバカしい。
自分の身の丈にピッタリあつらえた服のような職業が この世にうまく存在するわけではなく、目の前のこれだと見つけてしっかり抱きしめた職業に 自分の身の丈をじっくりと合わせていくことが合理的だからだ。
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これをひとしきり読んで、彼女がどこまで納得してくれたか わかりませんが、わたしはシンプルにこういいました。
わたしがあなたなら その問いにこう答えるでしょう。“わたしは 成長を求めるおとな、成長をつづけられるおとな、それになりたいです” と。
彼女も彼女の光をうまくにぎりしめるようになれることを 切にねがいます。
(長いコメントをしました。)