亘

その手に触れるまでの亘のレビュー・感想・評価

その手に触れるまで(2019年製作の映画)
3.8
【純粋ゆえの盲目】
13歳の少年アーメドは、ある時からイスラム教の導師(イマーム)に傾倒しイスラム過激派思想に染まる。ある日学校のイネス先生がアラビア語を歌謡曲で学ぶクラスを提案。「聖なる言葉の冒涜」と反対する導師に従い、アーメドは先生殺害を計画する。

イスラム過激派思想に走る少年アーメドを描いた作品。とはいえ過激派思想の描写は弱いと思う。過激派だと分かるのは導師やアーメドの言葉でところどころにある程度。イスラム教がキリスト教やユダヤ教の存在を認めていることを分かれば導師が強硬的だとはわかる。それに導師はネット上の過激派プロバガンダ動画を見せたりはするけど、そのほかに何か過激なふるまいをするわけでもない。もちろん特定の宗教を徹底的に悪として描くことの難しさもあるのだろう。ただ本作の主眼は若くて純粋ゆえに傾倒してしまうアーメドの心理描写にあるのだと思う。アーメドが過激派に傾倒する様子は見えるが同時にところどころで純真さや無垢さも見える。だからこそ悪いのはアーメドではなく、彼の純粋さが視野を狭くしてしまったと分かり、見ながら悲しくもなってしまうのだ。

[アーメドの日常]
アーメドは13歳の少年。かつては普通のゲーム好きだったがいつしかイスラム過激派の導師に傾倒するようになった。礼拝の時間ぴったりに礼拝をし、家族以外の女性には触れようともしない。さらには肌を出すような服装をした自分の姉を娼婦呼ばわりする。この変貌ぶりには母も学校のイネス先生も不安がっていた。ただアーメドは導師の言う通りの教えを正確に守ればよい人生が訪れると信じていたのだ。

[イネス先生排除]
話が展開するのは、イネス先生のアラビア語クラスの提案から。移民の増えているベルギーでは、アラビア語ができた方が就職にも有利になる。だからこそ実践的なアラビア語を歌を通して学ぶことで子供たちの将来の可能性を広げようとしたのだ。一方で保護者でも敬虔なイスラム教徒からは、「神の言葉であるアラビア語を歌から学ぶのは良くない。コーランから学ぶべきだ」との声が上がる。もちろんアーメドは後者の立場だし、導師はイネス先生を"背教者"呼ばわりする。そしてアーメドは"イスラムの教え"を守るために、自ら"聖戦の義務"を果たすためにイネス先生殺害を計画する。しかしこれは未遂に終わり少年院に入れられてしまう。

ここで気になるのが、アーメドの行動に対する導師の反応。それまでアーメドには原理主義的な教えを説いていたが、いざアーメドが犯行を犯すと「モスクを守ることが優先」とアーメドの犯行と関係がないよう口裏合わせをしようとする。言ってみれば責任は撮りたくないし自らの手は汚したくないのだ。それでもアーメドは導師を信じ続けるし、まさに純粋すぎる。まだ分別がついていない時期だからこそ盲目となっているのだ。

[回復の兆し]
少年院に入ってから彼は変わったように見える。初めのうちは礼拝の時間にどうしても礼拝しようと抜け出したり馴染めない様子だったが次第に職員の言うことも聞くようになり農場での仕事も率先して行うようになる。だからこそ被害者イネス先生との対面をする流れにもなるまで元々の普通の少年に戻る兆しが見える。

[再燃]
しかし彼は変わり切っていなかった。イネス先生との面会に合わせて、彼はリベンジを図っていた。金属探知機に見つからないプラスチック製歯ブラシの先を削り凶器を作成。2人での対面になったところで先生を襲う計画だった。しかし当のイネス先生はトラウマから面会することができず、またも未遂に終わってしまう。一方農園では一緒に作業をしている少女ルイーズから好意を抱かれ、ルイーズにキスをされる。ただアーメドはキスされた側とはいえ「地獄に落ちてしまう」とルイーズを糾弾し彼女に改宗を迫る。

ただその理由も異教徒よりはムスリムとのキスの方が罪が軽いからという理由。この身勝手さは幼さゆえの部分もあるけれども、これは本来の宗教の意義・本質を見失っている。まさに彼は若く純粋であるがゆえに本質を知らずに盲目的に導師の教えを信じ込んでしまっているのだ。

[許し]
さらに自らの罪を軽くするためにイネス先生殺害を再度決行するがまたも失敗。壁から落下し苦痛にもだえるアーメドに今度はイネス先生から手が差し伸べられ、アーメドは先生に許しを請う。

ある意味では最後にイネス先生本人から手を差し伸べられるのは救いだろう。ここでアーメドがイネス先生に許しを請うのはなぜなのだろうか。おそらく殺す相手であるイネス先生に救われたことで先生の良心に触れたこともあるだろうし、もしかしたらバツの悪さみたいなものもあるかもしれない。とはいえいずれにせよ彼の中に純粋さが残っていた。もしも彼の中に絶対に先生を殺す使命感があれば、あの状況下で凶器を刺すこともできたかもしれない。それでも相手を傷つけなかったことは彼の中の純粋さが先生の良心を感じて自らの過ちに気づいたからに違いない。

先にも書いたように本来イスラム教はほかの宗教の存在を認めイエス・キリストの存在だって認めている。アーメドは、そのように他の価値観も認められる良いムスリムになれるのではないかという希望も感じられるラストだった。

印象に残ったシーン:アーメドと導師が話すシーン。ルイーズをアーメドが拒否するシーン。イネス先生がアーメドを救うシーン。
亘