keith中村

ブラック校則のkeith中村のレビュー・感想・評価

ブラック校則(2019年製作の映画)
4.8
 これはどう考えてもタイトルで損してる映画。
 その証拠に私は劇場に掛かった時スルーしたもん。
 「どうせ校則あるあるネタをまぶしながら、どうでもいい予定調和な物語が進んでいくティーン向け映画でしょ?」
 そう思って完全にナメてたけど、近年の学園ものとしては、「町田くんの世界」「のぼる小寺さん」「アルプススタンドのはしの方」「賭けグルイ」あたりに比肩する作品でした。
 
 ほっしゃん演じる教師って、たとえば若い人にはどう見えるんだろう。人によっては戯画化されたキャラクタだと思うかもしれませんが、私には非常にリアリティがありました。
 私は今から37年前に高校に入学したのですが、うちの高校にもああいう教師いましたよ。
 怖かったし、ヤな奴だった。
 当時は体罰が当たり前だったから、本作に描かれた程度の教師の暴力は、別に事件にもならなかったと思う。
 振り返ると恐ろしい時代でした。
 
 本作では何しろ「壁の落書き」が素晴らしいですね。
 SNSやBBSでの書き込みと違って、手書きの奔放さと強さがある。
 でも、あんなこと当時の我々の母校でやれば、全員グラウンドに正座。犯人が名乗り出るまで帰さない。そんな感じでしたよ。
 雨の中、グラウンドに延々2時間くらい正座されられたことあったなあ。壁の落書きじゃなく、「誰かが校舎の窓から運動場に向かって飛ばした野次の犯人捜し」だったけれど。
 
 本作では、親や家族がちゃんと描かれているところも高評価のポイントでした。
 日本の青春映画って、親をオミットすることが多いよね。下手に登場させちゃうと、面倒な説明手続きが増えちゃうから。
 「君膵」なんて、「その博多旅行、親はどう許可したんだよ!」ってところは一切省かれちゃってる。
 本作では何人もの生徒たちの家庭が自然に描かれてて、好感が持てました。
 
 ラップのくだりもいいし、希央ちゃんの幼少時の写真をみんなが才能を発揮してリレーするシークエンスもよかった。
 希央ちゃんを演ずるのは、モトーラ世理奈さん。なんというか、存在そのものが新しい価値観を創出してるアーティスト。
 
 今から若干ルッキズムなこと書いちゃうけど、許してくださいよ!
 
 「雀斑だらけの美少女」ってカテゴリーは、たとえばアン・シャーリーだったり、キャンディキャンディだったりじゃないですか。ああ、どっちも古いし実写じゃない喩えなのが不覚だわ! えっと、あ、実写ならハーマイオニーちゃんの中の人だな。
 そういう人たちって、なんつーのかな、慣用句で言うと「まなじりを決する」みたいな確信に満ちた面持ちをしてるじゃないです? モトーラさんは全然違う。むしろ「眠たげな眼」をしてる。
 でも、その彼女が裡に秘めてるのは、熱い情熱や気高い矜持。これは見事です。
 こういう役をまさにそこにいるだけで体現できるモトーラさんは凄すぎます。
 
 ところでこの名前、通信会社の「モトローラ」を連想しちゃうけど、どっちかっていうと同じ映画人ならグレッグ・モットーラさんの苗字のほうが近い。グレッグさんも世理奈さんもイタリア系で、この苗字はイタリアの土地だか町だかの名前みたいですね。
 
 さて、話を本作に戻して。
 放送室占拠は、私の時代だと「腐ったミカン(じゃねえ!)」がやるもんだったけど、本作では担任が加担してくれるんだね。あの担任、かなり若かったけど、金八っつぁんとか加藤とか知ってるのかな。
 そう! 中島みゆきの「世情」ですよ。シュプレヒコールの波ですよ!
 あ。それで言うと壁の落書きが、ところどころゲバ文字っぽかったですね。
 ただ、そこに書かれた内容が、ゲバ文字書いてた頭でっかちの当時の学生より、もっと卑近で、それゆえに切迫した叫びだったのが良かった。

 また敢えて話を脱線させちゃうけど、ゲバ文字と同じように画数を省略してた文字と言えば、我々おっさんチームの映画ファンとしては、字幕文字がそうでしたね。
 最近は劇場でもゴチック体の字幕になっちゃった。「なんちゃって字幕風フォント」の場合もあるけれど、決定的に当時の手書きの字幕と違うのは、スキマがないことですね。
 当時の字幕はステンシルみたいに作られてるんで例えば「口」をスキマなく書くと、真ん中が抜け落ちて「■」になっちゃうんです。だから、どこか一辺だけ辺と辺をつなげず、スキマを残して「首の皮一枚でつながってる」状態にしてた。
 あと、画数が多い文字はつぶれちゃって書けないんで、ゲバ文字と同じく省略されてた。
 例えば、監督の「監」は左上が「臣」じゃなく「リ」だった。
 劇場の「劇」は左が「虍」で「虍リ」みたいだった。
 「観」の左は「又」だった。
 こういうのはマオさんの(あ、本作の「希央さん」じゃなく、文革の「毛さん」だからね)、漢字改革以来の簡体字を参考にしてるんでしょうね。
 攻撃の「撃」は左上だけ持ってきて、しかもちょっとアレンジして「𨊥」だった。
(フィルマークス、果たしてこういう文字コードまで文字化けせずに対応してるのか?! と思って投稿したら、案の定文字化けしてやんの!ww)
 私は今でも手書きする時はつい癖でそうやって書きます。
 
 なんか、今日も一貫性のないレビューになっちゃってるよなあ。
 もう終わったほうがいいかもですね。
 
 じゃあ、最後に私の出身校のブラック校則を一つ紹介して終わりますね。
「エレキギター禁止っ!」
 これさぁ。「エレキの若大将」とかGSブームとか芦原すなおの時代なら、まだ解るんだわ。
 でもさ、おれの高校時代って、そっから10何年も後の80年代ど真ん中の3年間なんだよね。
 やっぱ、田舎は駄目だわ、って思いました。
 唖然呆然、あきれたね。何時代かと、驚いた。(←本作の樹羅凛ちゃんに真似て七五調で言ってみた)
 でもって、そこのダブルスタンダードがまた腹立たしいんだよ。
「エレキベース+ベーアンは可とする」
 ベースはアンプに繋いでいいんだってさ。
 ただ、そこは生徒たちのほうが偉かったね。
 私が一年生の時の学祭で、「ギター部」の先輩たちがロックバンドやったのさ。
 ジャーニーの「Separate Ways (Worlds Apart)」とかやってた。これ、その前の私が中3だったときのヒットナンバー。「フロンティアーズ」のA面1曲目だよ!(←若い人には何一つ伝わらない単語だらけ)
 その先輩バンドは、エレキギターは禁止だったんだけど、アコギにピエゾ素子のピックアップ付けてましたわ。
 そしたらエフェクター通して、アンプ通して(学校は馬鹿なもんで、それらは禁じてなかった)、(唯一学校が禁じてた)エレキギターの音色になるんですわ。
 シンセはなかったと思う。あの印象的なイントロもギターでやってた。
 あと、ソロはいくらエレキギター・サウンドになってるとは言え、たかだか14~15フレットくらいまでしか運指できないアコギでは無理なんで、オクターブ下でやってたかな。それか、メロディちょっと変えてたかな。
 
 あと、今から思えばアコギって弦高が高いんだ。それじゃ速いパッセージが弾けない。
 かといって、弾きやすいように、テロンテロンに緩めたらチューニング変わっちゃう。
 あの頃の先輩たちは、ギター一本犠牲にする覚悟で、トラスロッドを捻って、弦高が低くなるようにネックを逆ぞりにしてたんだろうな。
 つっても本作の「18万円」より一桁少ないお金で買えたものだろうけれど。
 
 本作のように全校生徒に呼び掛ける叛逆もあれば、当時のようにそうやって制度のスキマを突いてしれっとやる叛逆もあった。
 今も昔も10代は辛いもので、オトナになればそういう事どももあっさりやり過ごせちゃうんだけど、今を生きる若者よ! あとたった数年耐えれば、誰に文句言われるわけじゃない自己決定権のある自分になれるぞ!
 だから、Hang In There! Hold On Tight! そして、Be Excellent To Each Other! アーンド・パリオン!

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追記
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薬師丸さんはタヌキ顔なんで、面長のバージニア・ウルフさんとは横顔ですら似てないよね〜。
 でもそこでウルフ持ち出す村上春樹感? ってか伊坂幸太郎感も良かったよ!
 ひろ子さん×バージニア・ウルフってえと、先日鬼籍に入られた澤井監督の角川エイガ最高傑作の「W」でも「ダロウェイ夫人」だったダロウェイ?(←無駄にスギちゃんっぽいな)