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ルース・エドガーのSSDDのレビュー・感想・評価

ルース・エドガー(2019年製作の映画)
3.7
◼︎概要
文武両道で優等生のルース。様々な人の期待に応える彼に、女教師がレポートの内容の過激思想から危惧し、ロッカーを詮索し非合法な花火を押収する。
母親に警告を促すが、母として子を信じようと思うが、息子の知らない一面を感じ始める…。

◼︎感想(ネタバレなし)
閉塞感で息が詰まる…。
高等学校における教育者、保護者、学生の立場でそれぞれが期待し、期待される役割をアメリカにおける偏見、思想、教育、人種差別の観点から描く。

実親ではなく紛争地区から養子として連れ帰ったルースは、皆から認められる優等生として扱われる。彼はいう"自分は怪物か優等生でならないといけない"。

誰しもが劣等生、優等生、被害者、加害者のレッテルを貼り子供を見る。
ある女教師は特にレッテル貼りそれを周囲にも撒き散らすことでルースと対立し始める…。

母親は血のつながりがなくても守りたいという異様な執着から行動をエスカレートし、父親はただ普通の家庭を持ちたいと願う。息子は押し付けられる学校、家、友人、社会的偏見のプレッシャーから行動を起こしていく。

ただただ重たく、理想像の押し付けと、演じることに強制されながらもがくモラトリアムの嫌なズレを見続けさせられる作品。
社会的な闇を静かに描き、いつでも暴力的な何かが起きそうな不安を抱かせられる雰囲気は独特だった。











◼︎感想(ネタバレあり)
・共犯達
最後には両親は口裏を合わせて花火など渡されていないと女教師を嵌めるのだが、まさかその花火をルースが取り戻し使っていた。この時点で怪物であることは確定したし、犯罪を幇助したのだから両親も共犯。
女教師の人生を壊したことを後々悔やむ時がくるのだろう。

・ルースのスピーチ
一人の練習で涙を流した通り、皮肉なスピーチ。自分の本当の名前というアイデンティティを母親は発音すらできず、ルースという名前を与えられた。
アメリカ人として否応なしに全て過去を捨てさせられたのだ、"幸せなアメリカ人"を演じなければいけない人生は本来の自身の否定し続ける人生となる。
いつか慣れるだろうが、多感な時期にそれを憂うのは致し方ないのだろう。

・静かな狂気
本作がとりわけ秀逸なのは直接的暴力描写が極力ない。女教師の精神疾患である妹が構内で全裸で喚き散らすところを警察が取り押さえる、花火が教室で発火するのみだ。
それでいて打楽器の重低音が鳴り、声高に叫ぶラップ調の音楽を流すのが暴力的な出来事が起こりそうな予兆、不安を煽る。

その中でとりわけ、"YES!we can!"を叫びながらチアガール達が踊るシーンはある時のオバマが言った言葉を、受動的に繰り返すアメリカ国民を揶揄する社会風刺に見えた。鼓舞する言葉として優秀だったが、洗脳的単純思考に導くためのワードだったとも捉えられる。

あるSF小説では"戦争に導く文法"があり、人間には"虐殺器官"と言われるものが存在しそれを刺激する言葉を繰り返し刷り込むことで意図的に内乱や紛争に導くことができるというものだった。

報復の連鎖と政治的な介入を繰り返すアメリカを見ると存在するのも疑いたくなる。
そしてウクライナとロシアの関係に介入しないのはやはり戦争はビジネスであることを目の当たりにしている気がする。

・社会的な闇
"日本は終わってる、海外に逃げろ"よくこんなことを言う人がちらほら前はいました。

銃がない日本よりも安全なところ?
先が見える明るい国はどこ?
差別がない国は?

アメリカであっても箱に入れられ、先入観と固定概念に囚われているのは変わりないし、おそらくどんな国も変わりはないのかもしれません。
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