いわし亭Momo之助

シン・ウルトラマンのいわし亭Momo之助のネタバレレビュー・内容・結末

シン・ウルトラマン(2022年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

面白かった! まずはこの一言に尽きる

だが 待てよ とも思う。そもそもこれを 本丸の円谷プロが 何故 出来なかったのか? 円谷プロは ウルトラマン訴訟に巻き込まれ 25年もの間 泥仕合を繰り広げ 会社としては疲弊しきっていた という事情はあるにせよ… 円谷英二が生きていれば 庵野秀明という才能の出現には 目を細めただろうけれども 円谷プロのテイタラクには 普通に不快感を露わにしたと思う。
考えてみれば ここ数年来 円谷プロが制作したウルトラシリーズに関して 特に興味が持てず 全スルー状態だったのも確かである。ただ もちろん近年のウルトラシリーズを熱心に見ていたファンもいるわけで この「ウルトラQ」~「初代ウルトラマン」大礼賛状態を どう思ってるのかは 興味深い。ただ まぁ コストのかさむ特撮作品だけに 庵野秀明 という潤沢な資金を引っ張ってこれるネームヴァリューあっての ウルトラマンなのだろう。松竹辺りが 昔取った杵柄と出張ってきても 所詮『大怪獣のあとしまつ』のような眠い作品に終わったに違いない。 
企画・設定・キャラクター造詣・音響効果・音楽・ネーミング・ポージング…等々 オリジナリティの宝庫だった「ウルトラQ」~「初代ウルトラマン」。その凄さをこれほどまでに実感できたのは 本当に久しぶりであり 幼稚園に上がる前の時代に このような作品をテレビで毎週 見れていた幸せを 再確認できたのは 感慨深い。

お~ 懐かしい 逆回しのタイトル。当時は コキキキキ ドキャ ギギギ という古い家具が軋むような何とも言えないSEから ヒューン チュドン!(このSEのオリジナリティの恐るべき高さ) と黒白の『ウルトラQ』というタイトルが現れ それが真ん中から深紅の炎のように焼き尽くされると空想特撮シリーズ『ウルトラマン』と出て あの時のショックと興奮が 令和時代に見事に蘇っている。しかも 燃え上がるタイトルは何と『シンゴジラ』。ここに庵野秀明のジャンルや権利関係を越えた 純粋な思いと自負が集約されている。この思いはさらに『シン仮面ライダー』に引き継がれるのだろう と思うと 本当にワクワクする。実は いわし亭は 生粋の仮面ライダー フリークなのだ。
物語は『ウルトラQ』を代表する怪獣のエピソードから始まるが それぞれのシーンが一本の映画として成立する位 お金がかけられていて メチャクチャ燃える。そして あの ダダダダ ダダダダ ダダダダ ダダン ダダン という低音ギターの印象的なフレーズも健在。ゴメスもマンモスフラワーもぺギラも素晴らし過ぎる出来。テロップで 日本にしか現れない怪獣を駆除する自衛隊の活躍に言及するところから 政府が怪獣駆除を専門とする組織 防災庁~禍威獣災害対策復興本部~禍威獣特設対策室 通称 ‟ 禍特対 ” (カトクタイ~科特隊 科学特捜隊??)の設立までをテンポよく紹介。

『シンゴジラ』の時も感じたが もったい付けず 禍威獣もウルトラマンも すぐ出てきちゃうのが 実に良い。かの米国版「モンスター ヴァース」の1作目『GODZILLA ゴジラ』は なかなかゴジラの全容を見せず先送り 先送りにして イライラさせられた割に 大して盛り上がらない駄作だったが そこのところ庵野プロデューサー よく分かっている。映画館につめかけたチビっこ達には 短いタームで我慢の限界があるし 映画的カタルシスはもちろん ウルトラマンをシンゴジラよろしく令和的に解体し 政治的意味付けを行ったり 外星人との交渉(ただ ザラブ星人とメフィラス星人が続けて 来訪するエピソードは同じことの繰り返し観が強く どちらか一つにしても 良かったのでは?)をも真面目に描こうとしているのだから 手際よく進めなければ たちまち大渋滞が起こる。いわし亭は テロップやナレーションで物語を進める手法は あまり好まないのだが 映画的に有効な手段として 認められている以上 使わない手はないだろう。台詞も演出も説明的に過ぎる と言う意見も一部あるが いわし亭は 非常にコンパクトに 事実関係がよくまとめられていて 禍威獣の暴れっぷりやウルトラマンの活躍に最大限 時間を割いているのは エンタメとして正しい選択だと と感じた。

禍威獣の登場とそれを迎撃する禍特対の善戦 突然 大気圏外から時速1万2千キロのスピードで日本に飛来するウルトラマン。土煙の中 うずくまっているウルトラマンの楕円形の目が 光を放っているシーンは もう テンション マックス である。立ち上がったウルトラマンを見て分析官・浅見弘子が一言  ‟ 綺麗 “。そう 弥勒菩薩がモデル とも言われているウルトラマンは正に美しい。特のこのシンウルトラマンは。そして そのハザマで 子供を助けるために命を落とす神永新二。一連の流れから 初代ウルトラマンが何故 日本に止まることになるのか も全部 説明されてしまっている。 ‟ そんなに人間が好きになったのか ウルトラマン ” お見事である。
そして 初代ウルトラマンの設定の甘さを突いた笑える台詞の数々。特に最高だったのが汎用生物学者・船縁由美の ‟ あれが着服なのか 全裸なのかも 不明なんですよ!“(爆) この船縁由美 けっこうシニカルに ウルトラマン的世界観を茶化す台詞が多くて 内輪受けに終始しがちなオタク作品のバランサーとして いい位置づけだと思う。
CGで何でもできてしまう時代に あえて ウルトラマンの飛行シーンを 棒立ちのちゃっちいプラモのようなウルトラマンのミニチュアで押し切ってしまう勇気は 敢えての初代ウルトラマンへのリスペクトと見た。一方で 格闘シーンがまるでアルティメット ファイティング チャンピオンシップをモーションキャプチャーしたか と思わせるほどに 洗練され リアルなものになっていて いわゆる怪獣プロレスと揶揄され 怪獣王とされながら首投げ一発で昇天したレッドキングのように 格闘演出に関しては イマイチの感が免れなかった初代ウルトラマン シリーズのウィークポイントを見事に払拭している。ウルトラマンとメフィラス星人のキックが同時に炸裂し 足の裏が合わさった状態での静止シーンなど あまりの素晴らしさに 絶句してしまう。こうしたシーンには いわゆるアクション監督が別にいるんじゃないか!?
そういえば 無表情な斎藤工の顔を見ていたら なんだかウルトラマンに見えてきて 笑えた。鑑賞前は もっと他に適役がいたんじゃないの??? と思っていたのだが これはこれで OK!って感じだった。

怪獣ではなく 禍威獣なので 当初の「ウルトラQ」~「初代ウルトラマン」の設定とは異なり 禍威獣は 実は外星人の開発した兵器(まるで使徒みたいに 創造主の意図が感じられる)で それは後半の展開にも大きく関与するベータシステムを用いた人類の生物兵器転用にもつながるわけだが そもそも 「ウルトラQ」~「初代ウルトラマン」の思想には 自然への畏怖がある。おそらく直接のヒントになったのは 1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて 北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)であろう。この獣害に関しては 当時古丹別営林署の林務官として苫前町内に勤務していた木村盛武が 取材 著した『獣害史最大の惨劇苫前ヒグマ事件』があるが その中で 事件の原因を 薪を得るための森林伐採と明治以降の内陸部開拓で 野生動物と人間の活動範囲が重なった結果である と指摘している。「ウルトラQ」~「初代ウルトラマン」もまた 地中深く眠っていた怪獣が 地球温暖化 環境汚染 核実験や自然の乱開発によって 覚醒し 暴れ始めた というのが当初の設定だ。

空想特撮シリーズとはいっても チビっこをメインターゲットとしたドラマのため 怪獣 宇宙人の設定には いささか悪ノリの過ぎるものもある。例えば メフィラス星人の知能指数は 1万! ルパン三世の360でもいい加減凄いのだが 1946年にイギリスで創設されたメンサは IQ130以上の天才だけが入れる国際グループであり IQ130以上の持ち主は 全人口の上位2% とされているのだから 如何にメチャクチャな設定か 分かるだろう(爆)
また 初代ウルトラマンの宿敵 宇宙恐竜ゼットンが 1兆度(!)の「メテオ火球」を放射する という設定は 1991年に発刊された『ウルトラマン研究序説』というくだらない本で すでに触れられていて ここで紹介された数字の科学的な理解も踏襲しながら 非粒子物理学者・滝明久に語らせている。では 子供心にも 何だか分からんが凄い数字だ! と実感させるために設定された 1兆度 = 1テラケルビンの超高熱球 の威力とは実際には どの程度なのか? TV作品では  科学特捜隊の基地の窓ガラスが割られて 内部から火事を起こした程度の被害に止まった(爆)が 本作では 太陽エネルギーの470兆倍であり 地球はおろか 太陽系 そのものが蒸発するほどのトンでもなさ と説明される。ただ ネットを検索してみると 1兆度では 地球の温度は0.01度も上がらない とする意見もあった。地球の熱容量(=質量×比熱)が非常に大きいため たとえ1兆度もの高温であったとしても 1立方m程度の火球の影響はほとんど受けないとのことだ(三日画師のかすかだり 2016年3月10日 ゼットンの ‟ 1 兆℃ ” の火球で地球は蒸発するか)。まぁ いずれにしても こうしたある意味 くそ真面目な議論をおまけレベルで誘発するのが ウルトラマンというドラマの凄さであろう。これほどの火球を放射するには ゼットン自体 地球より巨大でなくてはならず そこは ゾーフィが持ち込んだ 生物ではなく最終兵器という新設定で 地球の衛星軌道上に設置され 地上からも目視できるほどの巨大さを演出していたのは さすがシンという感じ。
また TVシリーズでは 困った時の神頼み的なウルトラマンの万能化に対して 科学特捜隊の活躍で怪獣を倒す という演出も度々登場する(例えば 第37話「小さな英雄」 泣ける回!)のだが 最終兵器ゼットンを国際的な学術協力会議で導いた数学的公式で倒すというのは ウルトラマンは 自ら努力して頑張る者に寄り添う という流れを上手く汲んでいる。


いわし亭は 大満足だったが もちろん 鑑賞者が多ければ多いほど批判も多いし 好評価一辺倒の作品というのは 逆に 気持ち悪い。正しい批判は むしろ 作品を理解する際には 大いに参考になるものだ。
ただ ここに来て なんだか やたら多くなってきた ‟ セクシャルハラスメント描写 “ とのレッテル貼り。 セクハラしないと映画撮れないの? といった意見すらあったが どこをどう見ると そうなるのか 感情的な物言いではなく 論理的に もう少し丁寧に説明してほしい。

追記ー
大ヒット作への発言は 拡散しやすいためか 作品を自分の都合で勝手に曲解した意見が 多過ぎてうんざりする。観てないし 観る気もない といった前置きでの戯言など論外で 頑張って最後まで見たけど 退屈だった~ って言ってる 小学生以下である。
先の ‟ セクシャルハラスメント描写 ” に続いて ‟ 自己犠牲 ” というワードがやたら目立ってきた。この単語だけで問題提起しているつもりなら 浅すぎて 笑い話にもならない。 自己犠牲が尊いものとして描かれており その危険性に言及する映画評論家が現れないことに驚いて… とか そんなこと描かれてないし そもそも ‟ 自己犠牲 “ が問題なのでも モチロンない。問題になるのは ‟ 自己犠牲 “ を強いて それを利用しようとする為政者の存在なのだ( ‟ 自助 “ という言葉をやたら連発する自民党の政治家を思い出すな)。そこをきちんと踏まえて発言しないと 例えば 先の戦争で亡くなった方々を全否定することになる。

リピア(ウルトラマン)は非常に冷静で現実的な性格であり 神永新二としての彼は 常に無表情で 感情の起伏の全くない人物として描かれている(子供を助けに行くまでの神永は もう少し 生き生きしてたよね)。リピアは 子供を助けるために命を落とした神永を理解できない。だからこそ 人間を理解したいと願う。その結果として ‟ そんなに人間が好きになったのか ウルトラマン ” であり 最終兵器ゼットンを命を賭しても倒したい という思いは その流れに上にある。