きょんちゃみ

くもりときどきミートボールのきょんちゃみのレビュー・感想・評価

4.0
この映画、久しぶりに見返したのだが、非常に面白かった。化学の世界の魅力に、子供や私のような素人が気づき、取り憑かれたように勉強し始める良いきっかけになる映画だと思う。あえて言えば、化学そのものというよりも化学者として生きるとはどういう態度で人生を作り上げることなのか、がよくわかる映画だと思う。非常にセンスがよく、おしゃれな映画だと思う。どんなに周りの人間から白い目で見られようとも、自分が面白いと思っていることについてとことん研究して深めてやるぞという態度が主人公にはあって、確かに問題は起こすが、それに対しても化学者として対応し、責任を取っていたと思う。化学の発明は、これまで多くの問題(武器に応用されたり環境問題を起因したりなど)を引き起こしてきた、とも言えるだろうが、しかしそのような問題を解決できるのも化学の発明によってなのである。化学の発明によって深刻な問題が起きたときに、それゆえに化学を嫌いになるのではなく、化学とはそもそもどういう感動と目的から生まれていたのかということを深く問い直すことで、主人公は新たな化学との付き合い方を発見していたように思われる。それに、そもそも化学とは化ける学問である。では、化けるとは、どういうことだろうか。「化ける」とは、要するに、「物質Aと物質Bをよく混ぜて熱してみたらどうなるか、やってみるまで誰にもわからん」という意味である(たとえば、スクロースというお砂糖と酸化銅(Ⅱ)という鉱石をよく混ぜてガスバーナーで加熱すると銅を製錬できるのである。これは要するに、お砂糖を使えば、鉱石から銅が取り出せるということになる。これにまったく驚かない人がいるだろうか。)。つまり、なにが言いたいかというと、この映画の主人公が散々自分の発明によってとんでもないトラブルが生じてそれに振り回されたり、命を救われたりしていたけれども、あれは結局、化学の原風景だと思うのである。「やってみるまでどうなるかわからんし、やってみたあとでさえ、それがよかったことなのか、やめた方がよかったのかはしばらくわからん」というのが化学のセンスオブワンダーの原点であり、「化(ば)け学」としての化学の、真の姿なのだと思う。今後、分子調理の技術が進歩するし、食糧問題はどんどん深刻になるだろうし、昆虫食やら、人工肉などの謎の食品やらで、さまざまな食生活に関わる化学技術も実用化されていくだろうが、その時も結局、やってみるまでどうなるかはわからんのではないかと思われる。環境が悪化したり人口が増えすぎたりすれば、分子調理によって1日に必要な栄養素を全て「スティックのり」みたいな棒状のものに詰め込んで配布されることになる日が来るかもしれない。で、その時、深刻な問題が起きるかもしれない。結局その技術がどう化けるかはわからないのである。だからこそ、トラブルが起きたときに、自分のこれまでのやり方を破壊して、見直して、それでいて最初の化学を志したモチベーションとセンスオブワンダーだけは維持できるという主人公のような資質を持った化学者は、この地球で活躍することが求められているのだ、とさえ俺は思った。

(たとえば、燃えた時に二酸化炭素を出さない無機物質であるアンモニアNH₃を人工的に作るのは難しいと言われていたが、20世紀になってからアンモニアを窒素と水素から人工的に大量製造できるようになった。これが1906年に開発されたハーバー・ボッシュ法である。アンモニアによる発電も二酸化炭素を出さない。「脱炭素社会」とは水素やアンモニアのような無機物を有効に利用しようとする、環境負荷の小さい社会であると言える。ただし、アンモニアを「N₂ + 3H₂ → 2NH₃」という仕方で空気中の窒素から取り出して肥料を作り出すというこのハーバー・ボッシュ法は、軍事利用もされた。「空気から肥料を作れる」、ということはつまり「空気からパンを作れる」というフリッツ・ハーバーのこの業績がなかったら、産業革命以来に激増した地球人口の3分の1くらいは支えられるわけがなかったのである。つまり地球人口の3分の1は餓死していたかもしれないのだ。ハーバーは、空気からパンを作ったのである。しかし、同じこの技術を使えば、空気から硝酸アンモニウムが作れることになり、硝酸アンモニウムとは、火薬のことである。また第一次世界大戦でハーバーは毒ガス兵器の生みの親として、塩素ガスや、悪名高きマスタードガスの開発ににも先頭に立って携わった。塩素ガスは黄色くて、空気より重いため、地面に穴を掘って戦う塹壕戦の場合でもすぐさま相手を殲滅することができた。第二次世界大戦中のホロコーストのガス室で使われたツィクロンBというガスもハーバーの技術を応用していたものであった。ハーバーは何億人もの人類を飢餓から救ったことでノーベル賞を受賞したが、ハーバーの兵器開発に反対していた妻クララがピストル自殺してもいる。ハーバーはユダヤ人であり、アインシュタインとも友人であった。第一世界大戦では愛国者として戦争の前線に立って、イーペルの戦いなどで毒ガス兵器を大量に作ったが、第二次世界大戦においてはナチスドイツに対する戦争協力は拒んで辞職した。しかしナチスドイツはハーバーの開発した技術の恩恵を引き継いだのである。このように、空気中からアンモニアを取り出せるようになるというハーバー・ボッシュ法を、空気中からパンを作れる技術と見るか、空気から火薬を作る技術と見るかは、見方によるということになる。)


【追記】
この映画、非現実的だと思われているようだが、空気からパンを作る技術はあるよね(=ハーバー・ボッシュ法)。そしてその技術で硝酸アンモニウムを作って、そこから火薬を作れるから、この技術は、戦争で使われてる。この技術の顛末もこの映画とよく似ている。だから、結局、科学技術を楽観視しているわけでもないと思う。むしろ科学技術を適切に警戒している。つまり、技術者や発明家や科学者がナイーブで無邪気だとすぐさま政治利用されるぞっていうとても現実的な問題意識があると思う。それから、食べ物を粗末にするなという批判はこの映画の外部から日本的な倫理を持ち込んだ批判でしかないと思う。さらにいうと、この映画に出てくる料理には、その料理を作った料理人が映画内にまったく描かれていない(というか存在しない)んだから食べ物を粗末にするなとかいう批判は筋違いだと思う。例えばホットドックが出てくるけど、そのホットドッグは豚を殺して作ったわけじゃなくて分子レベルでタンパク質を加工して生成したものだったよね。だから、料理人のまごころとか、動物の命を粗末にしたとかいうことにはなってないと思う。分子調理の技術がめちゃくちゃ発達してきた現代にこういう料理の発現は意外にも荒唐無稽な描き方だとは思わない。粗末にするも何も「単にタンパク質の分子が結合してるだけでしょ」という仕方で料理を描いていたと思う。科学技術が素早く大量に生み出してくる料理(しかもどんな味かが見た目からは想像もつかない分子調理による料理)を人々がどう扱っていいかわからないという、むしろ現代的困惑の表現のように見えた。あと、主人公が成長しないという批判もおかしくて、めっちゃ成長していると思う。
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