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プラットフォームのymrのネタバレレビュー・内容・結末

プラットフォーム(2019年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

人は欲望のままに生き、自分の命のために他人を殺す動物
それらを救おうとしたカタツムリの話

ヒントが少ないけど、だからこそ考察が捗る作品

・動物と人間
動物(作中では犬)は欲望に忠実なのに、人を裏切ったり、殺して食べようとしないのが印象的

・言葉を話すこと
面接官の女が説得しようとするが、その言葉がうるさく感じるように描かれる
理性的な時は言葉に耳を傾けられるが、そうでないときは説得とか信用とかそういうのはめんどくさくなってしまうんだな、と。
犬を片手で抱えて、愚かな人間たちを諭す姿はまさかマリア様を表しているのか?と思った。

・子どものいる女
面接官をしていた女が子供を連れずに一人できた、と言っていた。
しかし、実際こどもはいた。
しかも子どものいる女は主人公を助けたし、自分から人を殺していなかった。襲われたら、殺してた。
ということは、子供のために、理性を保っていた可能性がある。
一方、面接官の女は…。
主人公の名前を覚えていた。同じ階層に来た。胸をわざわざさらけ出した。
主人公に気が合って、子どものいる女に嫉妬していた可能性があるんじゃないかなぁ、と考察してみました。

主人公が男女のあえぐ声を聞いた場面がありましたよね。
面接官の言うことが本当なら、この穴で出来た子どもということも考えられそうです。
まぁカタツムリという言葉の解釈によりますが、無性受胎の象徴とも取れるそうなので、もしかしたらそのような行為なしで授かった可能性も…。
だとしたら、イエスのような風防の長い髪したこどもも説明がつきます。
最後のテーブルに寝転がって寝ているシーン。ピクリともしません。キリストの死を連想させるポーズで、上から光が指しており、絵画的な美しさがあります。

・神は食べ物を奪うのではなく作り出す、お前たちは神ではない。
う〜ん、痺れた、THE正論でした。
では、最下層の命を守れたのはなんだったのか。
言ってることはそのとおりだけど、行動を起こさず文句をいう、外野の典型だなぁと思い直しました。
説得が通じないときは暴力(比喩)も辞さないのが世のため自分のためになるんだろうな、と。そのためには賢者さまのいうように、その後どうなるのか、という客観的な指摘は取り入れたい。

・カタツムリジョーク
カタツムリと言われすぎて、聖書を食べるシーンは笑っていいのか、なんなのか。
カタツムリはキリスト教では「罪人」「原罪」を負った、人間のことを指す。
足の肉をそがれて、血をしたたらせながら地面を這う主人公はまさに醜いカタツムリです。
人間とはこんなに醜く、よだれをたらしながら食べ物を探すものである、と言いたいわけでしょう。
しかしここからおそらく、この作品がハッピーエンドであったこともわかる。
殻を持たないカタツムリは欲望を隠さない人間のことであるが、それでも不滅不変を目指していれば「輝かしいものに復活」するとある。
おそらく、地上にもどれたのでしょうね。
まぁ、この人は神のお告げをきいた預言者であるのでしょう。
錯乱状態になったのは、修行して欲望を断つ修行僧のような状態で、仏教で言う解脱、悟りを開いたのかな。
神のお声が聞こえるようになった。その少年は伝言だ、と。

・人は他人にされたことは他人にもしていいと思っている
しかし、その他人とはだれか明確ではないのが興味深い。

「上の奴ら」「下の奴ら」といった具合に。
悪いのは「上の奴ら」ではなく、ここに閉じ込めた人や、悪いことをした自分や、この仕組みを思いついた奴ら、な訳であるが、この映画に登場する人物たちの多くは完全に現実を捻じ曲げている。

これは人を操るときに使えそうである。
例えば、国や宗教といった「悪者に見える奴ら」をでかでかと見せつける
すると、それを見た人間はそいつらになら悪いことをしてもいいと考えて、例えば暴言を浴びせたり、テロを起こしたりする。
しかし、現実はそう見せている「やつら」がいる。この映画で管理者とか言われてるやつらだ。
自分が操作されていることを自覚しなければならない。現実をみよう。

・食料の分配はやはり不可能だよね、というのはもう科学的に検証されている
なので、貧困とか肥満とかそういう話とは少し違うのかな、とわたしは感じました。
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