倉科博文

ミッドナイトスワンの倉科博文のレビュー・感想・評価

ミッドナイトスワン(2020年製作の映画)
3.8
「あなたは大事な人に裏切られても、その人を、そしてその現実を受け入れることができますか」

ひとは他者を受け入れることで成長することができる
たとえその結果、自分を傷つけることになっても

トランスジェンダーである主人公の『凪沙』は、ネグレクト被害を受けている親戚の『一果』の面倒を見なくてはならない成り行きとなる-
初対面から暫くは、お互いへの不信感や生活の違いなどから事あるごとに衝突する二人-
だが、一果のバレエに傾ける情熱の大きさに感化されるように凪沙の心情は変容していき、それに呼応するように一果も凪沙を受け入れる始める-

きっと「この物語は裏切りのストーリーではない」と思う方もいるだろう
僕もこれは『便宜上』と言い訳させてもらいたい

人間関係とは「入れ替え可能性」だ
自分にとって大切な人とは、とどのつまり交換の出来ない人であり、正に『かけがえのない人』となる
一般的に親が大切であり、同時に子が大切であるのは、親が産む子は交換できないし、子を産む親も交換できないからだ
そして逆に、見ず知らずの人は70億の交換が可能であるから重要で無くなる

しかし、特殊な場合において、その「入れ替え可能性」に非対称が生まれることがある
つまり、片方にとっては人生で最もエネルギーを注いだ入れ替え不可能な存在であるのに、もう片方にとってはもっと入れ替え不可能な大切な存在がいた場合

この時の、絶望感と悲哀は如何なるものだろう
ぜひ想像しながら、この映画を味わって欲しい

主人公たちを始めとした登場人物の成長も描かれ、ストーリーもとても味わい深いものだった

一方で違和感もある-

細かいところで言えば、草彅剛の演技はクサ過ぎやしないか
これは俳優個人というよりも、監督の演技付けの問題だろう
あと、幾人もの方も言っているが、このご時世、性転換手術の後遺症で死に至ることがあるのか

そしてもう一つは、結末に至るまで人々の仕打ちの苛烈さ
その結末はドラマティックだったが、本当に令和の時代の妙齢の男女が、果たして「怪物!」のような罵詈雑言を人に浴びせることが出来るのだろうか

もしかしたら、自分の尊厳を守るために人を蔑み傷つけないではいられない種類の人間はそうするのかも知れない
いやむしろ、我々の日常の中にまま潜む暗い地獄とも言える

しかし、形而上学的な考えで見てみると、彼女はその輪の中で唯一、苦悩を突き抜け神と一体となったのかも知れない
であるならば、最期の死を描く場面の明るさは、そのメタファーなのかも、と思える
そうでも考えないと、こんなの哀しすぎるじゃないか

-細かい違和感が無くしっかり作品に没入できれば、4点台に付けたいくらい心動いた作品でした