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トゥルーへの手紙のBaadのレビュー・感想・評価

トゥルーへの手紙(2004年製作の映画)
4.4
この映画で愛犬に向かって語られるのは、とうに失われていた楽園への想いだ。

バックに流れるはかなくて美しい音楽、フッテージとして引用される映画や映像や写真。それは子供の頃から慣れ親しんでいたアメリカ文化の、とびきり極上の憧れともいうべき上澄みの部分だ。

とても豊かでリベラルでキラキラとしていて健全だけれど、なぜかかすかに退廃の匂いがしたりもすると子供心に感じていたのだけれどその勘は当たっていたかも知れない。

なんったって、最後にリルケの詩を読むのはジュリー・クリスティーなのだから。(にしても、ジュリー・クリスティーとダーク・ボガードが『ダーリング』で共演していたなんてこの映画を見るまで想像だにしなかった。『ダーリング』は少女時代にテレビで見てその退廃の凄まじさにビックリした映画。多分イギリス映画だけれど、ヒロインのモデルはグレース・ケリーと言われているんだから、二人はイギリス人でしょなんて野暮は言いっこなし。)

引用されたフッテージのなかにはベトナム反戦運動や、第二次世界大戦時の日本やヨーロッパでの戦争の経験とその影響、を映し出すフィルムも含まれているのだから、ブルース・ウィーバーが「当たり前になっていた幸福な日々が一瞬にして失われた」と言う実感を911以前に持っていなかった言うこと自体ずいぶんとのんびりしたことに思われる。

実際には何が失われたのかはこの映画をみれば分かるのだけれど、それは大変な労力によってとても微妙なバランスの上に成り立っていて、そのバランスの危うさ自体は今も昔も全く変わっているようには思えない。それに失われれたキラキラした世界のおこぼれに片目をつぶってどっぷりつかっていたのは一部のアメリカ人だけでなかったはず・・・

そんな世界が大好きだった私も輝かしさの本質を見直すことによって何かを見つけられたように思う。

それにしても、平和を託して語る相手の、家族たるべきものがペットたちであった、というのは、子育て中の私には微妙になんだかな~と言う感じがしました。そう言う面では若い女性達に未来を託して映像詩を綴ったゴダールは遙かに若々しい精神を保っているのかも知れないですね。『アワーミュージック』の後にこの映画を見ると、いつの間にかヨーロッパとアメリカが逆転しているかのような奇妙な錯覚に陥ります。

(日本初公開時劇場鑑賞)
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