サマセット7

プロミシング・ヤング・ウーマンのサマセット7のレビュー・感想・評価

4.3
監督・脚本は、女優やプロデューサーなど多彩な活動で著名なエメラルド・フェネル。今作が監督デビュー作。
主演は「17歳の肖像」「ドライヴ」のキャリー・マリガン。

昼はコーヒーショップの店員として働くキャシー(マリガン)は、夜には別の顔をもっていた。
夜な夜な派手な格好でバーに赴き、泥酔したフリをして、「お持ち帰り」しようとする男たちを「釣る」のである!!!
親切めいた甘言を囁き、自室に連れ込み、女性の意識の混濁に乗じて服を脱がそうとする男に、演技をやめたキャシーは冷然と言い放つ!!
「手を離せって言ってんだよ!!!」
彼女は、なぜ、「仕置き」を繰り返すのか?
彼女はいかなる人生を送ってきたのか?
やがて好青年ライアンとの出会いがキャシーの人生を前向きに変えるも、同時に彼のもたらしたある情報が復讐劇の幕を開ける!!!

本作は2021年にアカデミー賞作品賞や主演女優賞など5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した作品である。
全般に極めて高い評価を得ており、特に映画評論家から絶賛を集めている。

ストーリーは、デートレイプ男たちに無差別にお仕置きをしていた女性が、好ましい男性と出会い、仲を深めていくと同時に、ある情報を知ることをきっかけに、過去のある因縁の人物らに一人一人復讐を遂げていく、というもの。

ジャンルは、スリラーとロマンティックコメディのミックス、か。
非常にポップかつテンポ良く、切れ味鋭い語り口に特徴がある。
一方で、そのテーマ性やメッセージ性は鮮やかで、明確に社会批評性がある。
順番としては、メッセージが先にあり、ポップさはメッセージを包み込む極彩色の包装紙。
いずれにせよ、そのバランス感覚が今作を傑作たらしめている。

ブリトニー・スピアーズの有名なヒット曲をはじめ、今作の音楽使いはクラシックの使い方も含め、一貫してポップ!である。
ネオンカラーを多用する夜の世界、ファンシーで少女趣味が内面を表現するキャシーの自室、カラフルな職場のコーヒーショップと、舞台の色彩豊かな点も、ポップさを後押しする。
ロマコメ風のユーモアたっぷりの台詞回しや、キャシーにやり込められる男たちの情けなさ、お仕置きの痛快さもまた、観客を映画の世界に引き込む。
煽りドライバーに対する目の覚める対応!!
ヤジを飛ばす男どもへの視線の威力!!

復讐のスリラーもロマンスも、いずれも、緊迫とユーモアをはらみ、とても、面白い。

復讐に、過剰な暴力や過度なセクシーさは用いられない。
キャシーが用いるのは、主に言葉である。
その様は、あくまでリアルで、それでいて痛快さを失わない。

キャリー・マリガンは、不安定で、過去に縛られて、それでも希望を持ち、絶望し、吹っ切れる、極めて難しい役を、リアルに、かつ超然と演じ切っている。
アカデミー主演女優賞は惜しくも逃したが、取ってもおかしくなかったろう。

今作は、性被害と、それを取り巻く社会の不公正に対して、パンチを叩き込む作品である。
今作の断罪は、デートレイプを行う者にも、それらの者を断罪することなく傍観黙認する者にも等しく向けられる。加害者を庇って用いられる「将来の約束された若者」という言葉は象徴的である。言うまでもなくタイトルは「では被害者の将来は?」という問いかけなのだ。
批判は男性だけでなく、不公正を受容し協調する女性にも向けられる。

メッセージの鋭さと裏表のように、今作の切り取る「クズ男あるある」や「性差別あるある」のエピソードの切れ味たるや、凄まじい。こうした多数のエピソードの組み立てにこそ、今作の真髄がある。
男同士のマウント合戦と女性に対する「お持ち帰り」(と大したことない風に言われる犯罪行為)をネタにした武勇伝の、客観視点で観た時の最低さ。
自己弁護の下で行われる蛮行の醜悪さが、相手が「意識を持った人間」であるとわかった時に露わになること、その瞬間の惨めな狼狽。捨て台詞。
自己の優位を確信するからこそ、振われる「想定弱者」へのマウンティングと、その想定が崩れ、相手が反撃して来た時に露呈する人間的浅薄さ。
若かった、という、何の理由にもならないにもかかわらず、何故か罷り通る免罪符。
自分は性差別的な男ではない、と確信している男こそが、無意識に差別を犯すこと、その無意識故の罪深さ。
大人らしい「第三者目線」を振りかざす者が陥る当事者視点の欠如、仕事や中立の名の下に失われる「自然論的正義」。
当事者視点の欠如が生み出す、「他人の不幸の娯楽的消費」の本質的悍ましさ。
そして、「悪友」が起こした「事故」を「庇ってやる」という、無意識に染み付いた同属の相互救済意識、その最低最悪の発露。
これら「同属」が、実に人類の半数を占めると言う、絶望的な現実…。

今作の製作に、あまりに酷い社会の現状が影響したことは間違いない。
後をたたないセクハラ、デートレイプ、性被害。
その加害者たちの、「証拠がない」「同意があった」「若気の至り」などなどの定型的な弁解。
多くは「泣き寝入り」の闇の中に隠されて、社会問題となっているのは、氷山の一角と言われる。
ようやくミートゥー運動などで実態のごく一部がほの見えつつあるとはいえ、21世紀の社会の意識など、まだまだこんなものなのだ。
顧みて、日本でももちろん他人事ではない。

今作のメッセージに逃げ場はなく、ほとんどの人が何かしら後ろめたい思いをすると思われる。
キャシーの終盤の行動は、神の使徒や聖者の如くであり、そのことがいっそう、観客に妥協を許さず思考を求める。
ところどころ、十字架や天使など宗教的なモチーフが見られる点も、象徴的である。
キャシーの「過去」に対する立ち位置もまた観客に、「他人事だから」と逃げる余地を与えないために計算されたもののように思われる。

個人を人間として公正に尊重すること。
それだけのことが、どうしてこんなにも難しいのだろうか。
時代が変わり、人の意識が変われば、状況は改善されるかも知れない。
今作はその流れを加速させようという試みのひとつであり、そのあたりに歴史的意義があるのかもしれない。

センスの良さと、メッセージの鋭さが印象的な、女性による復讐譚の傑作。
男性俳優陣の、普通に良い人然としたキャスティングと、中身はゲスという演技も印象的だ。