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三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のベイビーのレビュー・感想・評価

4.1
それは伝説と呼ぶに相応しい"言葉の決闘"

「三島由紀夫VS東大全共闘」

思想のバトル。言葉と言葉の殴り合い。言い争っていることが賢すぎて、アホな僕には半分も内容が分かりません。でも面白い。僕は三島由紀夫という人物に、この一本ですっかり魅了されてしまいました…

まるで分厚い本で頭を思いっきり殴られたような衝撃です。その本のタイトルや内容は分からずとも、厚みと重さだけはずっしりと脳に伝わってくる。そんな体感をする二時間でした。

時は1969年5月13日。当時人気作家の三島由紀夫が東大全共闘の幹部から呼び出され、1000人以上の学生たちが待つ東大駒場キャンパス900番教室に単身乗り込んで行きます。

片や天才作家でありながら、"楯の会"という極右組織を創立した武闘保守派。片や反権力、旧体制変革のためには暴力も辞さないとする左翼学生の総本山。

遡ることこの年の一月、安田講堂を占拠しつつ陥落させてしまった東大全共闘。もう後がなく、どうしても革命の火を消したくない彼らは、三島との討論会を企画し「三島を論破して立ち往生させ、その場で切腹させろ」と鼻息荒く息巻いています。

三島由紀夫は一体どんな覚悟だったんでしょう。1000人以上左翼の巣窟にゴリゴリの右翼が単身で乗り込む… もうマンガですよ、マンガ。

「近代ゴリラ」と揶揄されても平然と壇上に立つ男の姿。周りは全員敵だらけ。持参したのはショートピース4箱と己の身体一つ。異様な緊張に包まれた会場で、以外にも三島は穏やかに冗談を交えながら喋り出します。

考えてみれば、多感な十代後半に天皇陛下を崇高したまま終戦を迎えた三島と、戦後に生まれ、半ばアメリカの属国となりはてた日本という国で育った学生たちとは思想が違って当然です。

国運と個人的な運命を完全にリンクさせ、国のために戦死することを当然と考えて来た三島の青春期。1968年、世界的に"政治の季節"という反体制ムーブメントが巻き起こっており、奇しくもそんな時代と重なるように学生になっていた全共闘たちの青春期。

その二つの敵は同じはずなのに、両者とも国家を憂いた故の思想のはずなのに、ただ生まれた時代という原点が違うだけで、行き着く先が右と左に分かれてしまいます。

その差を言葉で埋め尽くし、学生たちを説得しようとする三島。その論法に揚げ足を取り、三島を言い負かそうとする学生たち。言葉の槍と言葉の楯で火花を散らす会場。その熱気に包まれた会場は、討論を重ねるうちに不思議な一体感が漂います。

「熱と敬意と言葉」

あの会場にあって、今の僕たちにないもの
それは、言葉の熱、熱への敬意、敬意ある言葉

本作で、当時東大全共闘随一の論客と言われた芥正彦氏が、現在のお姿で当時のことを語ってらっしゃいました。なるほど、今もその論客ぶりはご健在なご様子。しかし、僕は彼の言葉が嫌いです。

彼の言葉には、他者がなく、肉体がなく、思いやりがありません。あの学生の頃とちっとも変わらず、自分の尻尾を追いかける犬のように、実体の掴めないロジックをいつまでも追い回しているようです。その言葉に他者と対話する意思を感じられません。彼の言葉は全て口元で泡粒のように弾け消えてしまう独り言なのです。

それを思うと、あの時の三島の言葉には愛が溢れているように感じました。この国を憂い、この目の前の1000人の学生の未来を憂う言葉です。しっかりと他者へと向けた言葉、自分の血と肉体の言葉です。言葉の熱、熱への敬意、敬意ある言葉があの空間の中で、確かに感じられたのです。

それが言霊となり、その言葉がいずれ人を作るのだと感じる作品でした。

ちなみに僕は、三島作品を読んだことはありません…
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