砂場

ミナリの砂場のレビュー・感想・評価

ミナリ(2020年製作の映画)
4.2
基本的には淡々としつつも、時々入る強烈な寓意。
おばあちゃんと息子くんが素晴らしく泣きそうになった
まずはあらすじから


ーーーあらすじーーー
■韓国人の一家がアメリカの農場に到着、夫と妻、娘と息子の四人家族
アーカンソー州のトレーラーハウスに住むことになったが、妻は話が違うと不機嫌。なぜここなのか?
夫はここの土は全米一良い場所だと説明する。
仕事場である孵卵場までの時間、病院までの時間は、、?
夫はもうこの地で農業をやるワクワク感で頭がいっぱい、
■ジェイコブ・イ(スティーヴン・ユァン)、妻のモニカ(ハン・イェリ)、まだ小学生くらいの長女はアンとその弟のデビッド。
モニカは定期的に心臓に持病があるデビッドの血圧を測り心臓の音をチェックする。
■ジェイコブはヒヨコの雄雌判別の専門家であり早速仕事につく、妻はまだ不慣れであるが、なんとか雄雌判別の仕事についた。上長がジェイコブとモニカを紹介して拍手するが同僚からの拍手は無い。韓国人の同僚もいたのだが、、、
デビッドは煙突の煙のことを父に聞くと、オスを処分している煙だった
■夜に暴風雨になりトレーラーハウスの雨漏りがひどい、ジェイコブはここを脱出しないとトルネードで吹き飛ばされると焦るが幸い勢いは弱まった。
妻のモニカはもう限界であり、夫婦は激しく喧嘩。これまで稼ぎを長男である夫ジェイコブの親に仕送りし、自分たちの子供のための貯金ができていなかった。しかし夫のジェイコブとしては夢のため、家族のため農業を諦められなかった。
子供たちは夫婦喧嘩をやめて欲しくて手紙を書く
夫婦で話し合い、韓国からモニカの母を連れてくることにした。アンとデビッドの面倒を見てもらい夫婦で働くためだった。
■ジェイコブは農地を買うが、農業に向かない土地なので割安であった。
年間3万人が韓国からアメリカに移民が来るため韓国野菜のニーズは必ずあると確信していた。地下水を掘るのにダウジング業者が売り込むが300ドルもするので、そんな非科学的な方法ではなく自力で掘ることにした。
ポールという変わった男を雇用し、トラクターを手に入れ土地を耕す。
■韓国からはるばるおばあちゃんがきた。モニカは母としっかり抱き合う。韓国からのお土産の煮干しに感激し涙するモニカ。デビッドには花札のお土産だった
デビッドはあまりおばあちゃんぽくないと人見知り、クッキーも焼けないし、男物のパンツを履いて口も悪い。
次の日おばあちゃんはアンとデビッドを連れて森へ、ここは蛇が出るので入ってはいけないと親に言われていた場所。おばあちゃんはここに韓国から持ち込んだミナリ(セリ)を植えたらいいと言い始める
おばあちゃんはデビッドに花札を教えている
■ヒヨコの仕事場で、同僚の韓国人になぜここに韓国教会を作らないのと聞くとカリフォルニアとかの韓国協会が嫌でここにきている人たちだからね、、と言われる
■モニカが塞いでいるので、友達が欲しいのか?教会に行こうとジェイコブは声を掛ける。モニカが寄付したお金をそっと手に入れるおばあちゃん。
教会からの帰り道、ポールが重たい十字架を背負って歩く姿を一家は見かける。
■おばあちゃんに飲み物の代わりに自分のおしっこを入れて飲ませようとしたデビッド、おばあちゃんは口にしてすぐ気がついて吐き出した
悪戯を夜両親から説教されるデビッド、おばあちゃんはいいじゃ無いのと庇う
■農園の作物が育ち、収穫も近い。しかし地下水が枯れてしまったためコストのかかる水道水で野菜を育てる。そんなところに取引相手の韓国人が急にキャンセルし、他から購入を決めてしまった。裏切りだ、都会の韓国人は信用できない!怒り狂うジェイコブ。ついに水道代が払えず、水道が止まった
デビッドはおばあちゃんにおしっこってどんな味と聞くなどふざけ合う関係に川遊びや水汲みをデビッドにさせたので、モニカは母にそんなことはさせないでと注意する。でもおばあちゃんは子供は病気をしながら強くなるという。デビッドは翌日おねしょしたと思ったらおばあちゃんのだった。
脳卒中で動けなくなってしまったのだ。
■おばあちゃんが入院したので、デビッドは教会で知り合った友達の家に遊びに行くことに。そこで花札を教えると、おばあちゃんの汚い口癖を真似するのであった。
友達のお父さんから、あの土地は不作で大変だ、前のオーナーは金を使い果たし自殺したんだと聞かされる
■おばあちゃんは脳卒中の後遺症で体が思うように動かなくなっていた。モニカは夫と別れしっかりした病院のあるカリフォルニアに戻ることを決意。
ジェイコブは病院で自分たちが喧嘩ばかりだから病気の子供が生まれたのかも、、韓国は生きにくいのでアメリカに来た一緒に頑張ろうと思ったけども、、、と胸中を妻に語る。
ポールを家に呼んで食事をする、信心深いポールは悪魔祓いの儀式をやると言ってモニカと一緒におばあちゃんに祈りを捧げる。それを面白く無い顔で見ているジェイコブ。明日もたくさん仕事があるんだ。



<💢以下ネタバレあり💢>
■デビッドの診察で心臓の穴が小さくなって良好であるという検査結果、手術はしなくても良くなった。
韓国系の食料品店からの注文を得られた夫のジェイコブ、しかし妻モニカの表情は既に限界であった。農場を諦め一緒にカリフォルニアに来て、それか別れてという。
■車で家に戻ると焦げ臭い、おばあちゃんがゴミを焼却していて誤って納屋に火が燃え移ってしまったのだった。
おばあちゃんは無事だったが、納屋にストックしていた野菜が燃えてしまう。ジェイコブは懸命に野菜を運び出す、モニカも協力したがもう限界であり二人は這って納屋を出た。
おばあちゃんは森に向かいよろよろ歩いて行ってしまう、、デビッドは家はそっちじゃないと走る。これまで心臓を気にして走るのが怖かったのだがおばあちゃんを追いかけ、手を引いて一緒に家に連れて帰る。
疲れて一家は雑魚寝、おばあちゃんは食卓でそれを見ていた。
■ジェイコブはダウジング屋に頼み水脈を探してもらっている、モニカもどこか納得の表情。ジェイコブはデビッドと森の小川に行きおばあちゃんの植えたセリをみる。
これは美味しそうだ、おばあちゃんのお手柄だなと息子に言いながらセリを摘むのであった。
ーーーあらすじ終わりーーーー



🎥🎥🎥
この作品の背景をおさらいすると1980年のアメリカ、レーガン大統領の時代だ。一方で韓国はというと「タクシー運転手」で描かれた光州事件の起きた激動の年だ。
ジェイコブ・イ一家がどのような経緯で韓国からきたのか映画内では語られないが、ジェイコブは韓国が生きにくかったと言い、一方で長男として親を支えていたとも言っているのでできるだけ親を支えていたけども何かが限界だったのだろうと思う。韓国では長男が一家の中心であり実家を継ぐのが普通なので、ジェイコブがアメリカに移住するというのは余程のことだったのだろう。もしかしたら「タクシー運転手」で描かれる民主化運動関連で弾圧を逃れてアメリカに来たのかもしれない。
また、アメリカの都会に住む韓国人とジェイコブのような田舎の韓国人の間の壁や、韓国協会から逃げるようにして移り住む人々の話からは移民社会の中でも色々あって簡単では無いんだなと想像させる。
ヒヨコの作業場でもジェイコブたちの紹介で、韓国人もいるのに拍手なしでシーンとするとか移民コミュニティの難しさを知った。

ジェイコブ自身夢はあるが計画性のあるタイプではなくて、アーカンソー州の住む場所も妻には相談なしであったし、農業を本格的にやることも相談していない様子。
流石に心臓病の子供を抱えてその計画性のなさはモニカが切れて当然だと思うが、アメリカの韓国移民コミュニティにも打ち解けず、教会活動も全く関心のない人。一言で言うとめんどくさくてコミュニケーション不全気味の夢追い人である。

妻のモニカは現実派で息子の検診も妻がやっているし、夫がダメなら自分がやると言う決意でヒヨコの雄雌判定の練習に励む。
普通に考えたらこの夫婦では破綻するしか無いのだが、妻の母、おばあちゃんの登場で家庭内バランスが一変するのであった。
映画を見る前は、おばあちゃんのほっこり話かと思っていたが想像以上におばあちゃんのかき混ぜっぷりが激しかった。
良くも悪くも事件を起こす役割の人であるが、夫の事業の失敗とか長男の心臓の病気という家族の危機に対してこのくらい強いキャラでないと物事は転がっていかないのだろう。

淡々としている映画だが、時々ハッとするような寓意が挿入される。
ポールが大きな十字架を背負って歩く様はゴルゴタの丘のイエスのようだし、ポールの悪魔祓いの儀式はエクソシストとは言わないが、かなり不気味寄りに描かれている。
ラストのおばあちゃんがやってしまう事件も相当な衝撃のある絵だ。
淡々としてるように見えて実はかなりの強度のある寓意を差し込んできていると思うし、このような話法というのはアジア勢がアメリカマーケットで生き抜いていく上で重要な戦略だと評価したい。

そういえばセリは食べたことはあるが正直そんなに思い入れはないんだけど、今回の映画で水さえあれば雑草のようにしぶとい野菜であると知った。
なるほどなるほど、、、確かにこのおばあちゃんのお手柄は明るい先行きを感じさせるものがある。今後食べるときは意識してみよう

この映画は言葉の問題にきちんと向き合っていて素晴らしい。まさか全編英語じゃないよな、、と見る前は少し不安であったが夫婦とおばあちゃんはちゃんと韓国語だった。
またアメリカで育った姉弟は二人の会話はネイティブ英語であると言うのもリアル。
アメリカ映画=英語というのは、映画的便宜としては否定はしないので「アマデウス」でモーツァルトが英語でも、「戦争のはらわた」でドイツ軍が英語でもいいと思っているんだけど、これだけ文化的多様性が言われている時代なので言語という文化のベーシック部分は可能な限りオリジナルにすべきであると思う。

「硫黄島空の手紙」(2006年)の時は、全編日本語で作品賞ノミネートと話題になった。あの時はアメリカ出資の映画だから外国語映画賞じゃなくて、作品賞だという無理筋な理屈だった(イーストウッドパワーもあったと思うが)、、、、そこからやっと現在。
「アカデミー外国語映画賞」という名称も2019年の第92回から「アカデミー国際長編映画賞」に代わったことだし、文化的多様性を意識したアカデミー賞になっていくことは望ましい。
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