keith中村

キューティーズ!のkeith中村のレビュー・感想・評価

キューティーズ!(2020年製作の映画)
4.5
 物議を呼んでいるとの評判を聞いて観ました。
 たしかに、Filmarksで書いてきた中で、これほど自分の旗色を鮮明にしてレビューするのに勇気が必要な映画はなかったなあ。
 でも、結論から書くと、私は「賛」です。
 というか、かなり高水準な作品です。
 
 本作を素晴らしい映画にしているのは、何よりもラストの着地ですね。
 私は映画なんて何を描いてもいいと思っているし、毒にも薬にもならない映画より、毒や薬になる映画を支持したいと常々考えている。
 確かに、「監督、攻めてるなあ」と思いましたが、それはむしろ褒め言葉。
 ダンス・シーンは、世間で騒がれているような「エロ」はまったく感じず、むしろ「クール」だと思った。
 私はミュージカル、ダンス、音楽映画が好きなので、映画に登場するダンスは無条件にクールだと感じる体質だということもあるけれど。
 私が本作でいちばん居心地の悪さを感じたのは、そこではなくて、イスラム文化から逃げ出したい少女の選択肢が『こんなバカどもの集団でいいのか?』という点でした。
 
 子供は大人より圧倒的に選択肢が少ない。
 だから、小さな突破口を発見したら、無我夢中で突き進んでしまう。
 自分だって選択肢のない子供だったので、それはわかるんだけれど、「とはいえ、その突破口は、あまりにもバカ揃いじゃない?」と感じた。
 で、もしかしたら、本作は「イスラム文化よりバカのほうがマシ」という、あまりにラジカルすぎる主張をしてまでイスラムをこき下ろすためだけの着地を迎えやしないかと、ヒヤヒヤし続けていたのです。
 だったら、トンデモ映画認定でしょ?
 確かにイスラム文化に問題提起する映画はファルハーディー監督をはじめ、素晴らしいものがいくらでもあるけれど、本作のような手法を使ってまでそれをやるのはまったく反則じゃん?
 
 そう思ってたら、あの着地じゃないですか。
 「こっちもどうかと思うけど、あっちもどうかしてるよね?」が結論。
 そのラストで本作への評価はぐっと上がった。
 
 ただ、ラストは「え? まだ上がるの? え? まだ?」と映画的表現の見事さに圧倒されながら、最後の最後に「あ~、惜しい」と思っちゃった。
 あれ、どうやって撮ってるんだろ。CGを使ってないとするなら、足元が切れた瞬間にスタッフがトランポリン置いてるのかな。
 惜しいと思ったのは、本レビューで何度も私は「着地」と書いてるけれど、ラストショットの「そこは、着地させんなよ~」という点。
 あれは、どう考えてもジャンプのいちばん高い位置にアミちゃんが到達した瞬間に終わるべきでしょ?
 それだったら満点だったのにな。
 
 とはいえ、それ以外の映画的表現・演出はとても見事です。
 とりわけ、結婚式で着る予定の衣装のさまざま描き方。あのドレスが、風を文字通り「孕んでる」ようなシーンは、ぞっとしました。「血」もえぐいよね。
 
 最後のお母さんの変化がわからないという意見もあるようですが、そういう人はアミちゃんのベッド下でのシーンをどう思って見てたんだろ。
 本作は徹頭徹尾アミちゃんに寄り添ってる(なんでそういうこと気づかずに否定する人がいるんだろ)。
 アミちゃんが映っているカットか、アミちゃんの視点映像しかない。
 だから、アミちゃんがいなかった場所での出来事は想像するしかない。けど、監督はちゃんとそれを想像できるヒントはたくさん与えてくれてる。
 全部台詞で説明してくれる邦画じゃないんだから。
 ダンスを投げ出して、かつ勝敗を書かないのは、アミちゃんがそれに一切興味がなくなったから。「ここがほんとの居場所じゃない」って不意に悟ったから。
 
 あと、観終わって調べたら、そもそも批判されてるのは、作品そのものじゃなく、Netflixのキービジュアルがオリジナルと違うという点ですね。
 そこは同意。その変更はたしかにエクスプロイテーション目的だと、私も思った。
 そこから派生して、作品自体へも、(観てる人・観てない人含めて)バッシングが及んできたみたいですが、それは違うんじゃないの?
 ま、バッシングがアメリカ中心らしいので、そこは仕方がないかも。だって、彼らは「アメリカン・スナイパー」を観ても、「戦争礼賛映画だ!」って批判しちゃうような読解力のない「バカどもの集団」ですから(←上の方で一回書いたので、強気になって酷いことを書いてみた)。
 
 賛否両論になるのは間違いない作品なんで、「鑑賞し終えてから、なおも嫌悪する人」なら、私は全面的にその感情を肯定します。私だって世間が褒めてるのに嫌いな映画なんていくらでもあるもの。
 じゃなくって、観ないでバッシングしてる人は馬鹿だよねと思う。
 さらに言うと、そこから訳の分かんない「表現の自由を奪う社会活動」になっちゃうことを憂慮します。
 映画に関してのそれは、過去に何度も何度もあったもんね。
 そんなしょーもないムーブメントのせいで、映画化したものだけで言っても、デュラス×アノーのあれとか、ナボコフ×キューブリックのあれとかが、観られなくなる世界って、どうよ、皆さん?!