あべり

MOTHER マザーのあべりのネタバレレビュー・内容・結末

MOTHER マザー(2020年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

見ていて非常に飲み込めない映画だった。
真っ先に頭をよぎった言葉は「共依存」

映画の中でも出てきたキーワードだったが、2人の不幸は、その歪な関係を歪だと知らしめる出来事や人間関係に恵まれなかったことじゃなかろうか。

キッカケはいくつかあったものの、それに継続性はなく、一過的に過ぎ去っていく。
ずーっと誰かが対比的に向き合ってくれたら違った結果があったのかもしれない。

・母親の言いなりになることで自分の存在を自分で認知していた周平
・自分の言うことを聞き、いつまでも側にいてくれる息子を認識することで自分の存在を認められる秋子

誰からも手を差し伸べられらなかった訳ではない。
その差し伸べられた手を拒否し続けてきた、ないしは、反旗を翻してきたのもまた彼女らだ。

周囲はどうすれば、彼女たちに自分を見つめ直すきっかけをつくることができただろう。
彼女らはどうすれば、立ち止まって自分たにを見つめ直すことができただろう。

いずれにしても、周囲に出来ることは問いを投げかけ続けて、自分たちで自分たちと向き合うキッカケを掴むことを待つことしかできないのではないかと思った。

亜矢がしたことは、ともすると押し付けるように感じられるかもしれないと感じたためだ。

心理学者のアドラーは、「今ここに集中せよ」「自分に出来ることに悩みなさい」という。
その言葉が今一度心に突き刺ささった映画だった。

そして、この映画の元事件も少し調べてみた。
キーワードは、学習性無力感。

「自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態」

「抵抗」が「諦め」に変わる時、人は周囲や出来事に無意識的に流されてしまう。
そうなる前に、人が抗う行動や意志、姿勢そのものを誰かが承認してあげなければならない。
そういう意味で、この世に人を産み落とすと言うことは尊くて、責任の重いことなのだと強く感じた。
あべり

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