ぬっきー

日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人のぬっきーのレビュー・感想・評価

3.8
大人になってから気づいたけど、日本は国(と言ったって本当はそこに人がいるだけのはずで、国というものに実態はないけど)が御し易い人だけが国民でいられる心の狭いところのある国だ。
在日の外国人に対してもそう。ある統制しやすい枠に収まって国民してくれてる人でないと同胞とは認めません、という。
大抵の人はいい。自分で意思しなくてもその枠の中に収まって生きられるようになっている。
大抵、日本人、わたしたちのお仲間ですねと国に認めてもらえている。
でも意思しても、そうできない人たちがいるのだ。
それが、残留孤児だった人たち。中国やフィリピンにまだまだたくさんいる。
映画は、この人たちの現在を、現状を教えてくれる。
中国のことは、大地の子とか見てたのでなんとなく知っていたけど、特にフィリピンにそんな風な人たちがいることを全然知らなかった。
フィリピン人にもならず、この人たちは国籍がないのだという。
ちょっと普通の想像力だと、自分がその立場に置かれた時にどんな気持ちになるのか想像すらできない(だから映画がある!)。

でも本当は、この問題は、残留孤児の人たちだけの問題じゃないと私は思う。
この人たちの生きづらさは、実は私たちの生きづらさにもつながっている。
それは、あるフレームに入っていないと、堂々と生きることを認められないという生きづらさ。
一般的な生き方、一般的な日本人、そこから少しでも外れると、ちょっと私たちとは違うとねと線引きされたり、面倒な人だと思われる。
私たちって、誰のことだよと思う。
国なんて、人の集まりだ。
フィリピンの残留孤児のみなさんが日本人として認められないのは、ものすごく大きな視点でみれば、私たちの中にそういう精神があるからじゃないだろうか。

国の誰か偉い人だって、そういう仕事についているだけで、中身は私たちと大して変わらないのだ。
偉い人たちがなんとかしなきゃいけない問題と思ってる限り、このことは解決しない気がする。
ぬっきー

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