ウォーターライブラリー

明日は日本晴れのウォーターライブラリーのレビュー・感想・評価

明日は日本晴れ(1948年製作の映画)
4.2
山の中腹でエンコした乗合バスに居合わせた運転手、車掌のほか、東京から里帰りした踊り子、戦争で片足を失った男、あんまなどが繰り広げる一期一会の会話劇を中心としている。

ほとんどのシーンが山あいでのロケーション撮影となっており、上は雲、下は崖道というような見晴らしの良さと開放感がある。こうした、町や集落といった生活空間とは切り離された地点で、一人また一人と会話の焦点が当てられては、それを終えて歩き、または他の車に乗って去っていく。

驚いたのは、一つのショットの中に、カメラに対する距離と、そして水島道太郎演じるバスの運転手との人間関係的な位置関係が異なる三人が絵画的に収められたショットである。少し遠くの小高い岩の上に里帰りの踊り子、それより少し手前にうつむくように運転手の戦争時代の上官が映り、一番手前に水島道太郎演じるバスの運転手が映る。運転手以外の二人は、ともに運転手に対する負い目がある。その負い目には戦争が関連するという共通項がありつつも、人間関係においてはその二人は関わりがない。この三者関係が一つの画面内で収まるショットがあったのだ。

実は、このショットはラストのシークエンスにも関わってくるのではないか。というのも、上官も踊り子も運転手とは別方向に去っていき、運転手は車掌と山道に取り残される。踊り子が乗った迎えのバスの背面に据えられたカメラは、残された二人からどんどん遠ざかっていく。それぞれ別の道を歩むことの示唆として、それぞれにそれぞれの「明日」が迎えられるからこそ、ここで映画のタイトルが活きてくるのかもしれない。

さて、否応なしに関わってくるのは太平洋戦争の時分の話題である。戦災孤児を描いた『蜂の巣の子供たち』を監督した清水宏が、会話劇のなかでも、戦争直後という時代として向き合わざるを得なかった社会的テーマであったと感じる。「怒っても仕方ない。戦争は忘れよう」というあんまの後に挿入される、水島道太郎演じる運転手の「忘れたいですよ」というセリフは、「忘れよう」ということに対する裏腹の「忘れられない」というテーマを象徴している。

役者の中では、やはり群を抜いて、日守新一が演じる飄々としたあんまが印象に残る。浮世離れして、どこか達観している役どころである。この日守の役があってこそ、この映画が悲劇的に陥らなかったといえるかもしれない。