開明獣

STANDARDの開明獣のレビュー・感想・評価

STANDARD(2018年製作の映画)
1.0
原発には大反対である。何故なら現段階では人間には制御出来ない力であり、何か事が起これば、とりかえしのつかないダメージを引き起こすから。テクノロジーの進歩で、AI搭載のロボットが完璧に管理し、しかも万一放射能が漏れても除染出来る様な世の中になるのならば、反対を撤回するだろう。

それなりに、諸外国各地を回ったし、一時住んでいたこともあるので、海外の友人もそこそこにいる。外国で差別を受けて嫌な思いをしたこともある。でも、差別発言をしてしまうことがある。「ったく、イタリア人てのは、女に手が早いんだから」とか、「ハンバーガーばっかり食べてるアメリカ人に、和食の繊細な味がわかってたまるかい!!」とか。根拠無根の超絶差別である。

ゲイの友人もいる。カミングアウトするまで、毛が抜けおちる程悩んだという。その気持ちには同情する。別に友人の誰かが、ゲイでも全く構わない。でも、男同士のラブシーンには、生理的に嫌悪感を感じてしまう。

小泉純一郎と安倍晋三は、戦後最低の総理大臣だと思っている。何故なら、小泉以降、格差社会は広がり、人口は減り続けているから。

最近は有権者の半分しか選挙に行かない。そのまた半分の支持しか得てない政党が、野党第一党とつるんで、国政を牛耳っている。全有権者数の25%に過ぎない得票なのに、国民の総意を得たといきんでみせる。だが、見方を変えれば、選挙に行かなかった50%は、現政権をどんな形であれ、支持したのと同様だという見方も出来る。みんな、なにかと言い訳をする。野党がだらしない、政治には期待しない、自分が行っても無駄、などなど。結局、それは与党の勝利に力を貸している。心の底から反対なら投票にいくはずではないか。とすると、25%じゃなくて、75%もの支持を得ていることになる。

コロナ自粛の中、外出する人々を声高に糾弾する人達がいる。非国民呼ばわりすらする。命を大切にしろという。一方、テレワークが出来ず、仕事に行かねば、お金が貰えない人達がいる。その人達は、外に出なければ、金が手に入らない。金がなければ飯が食えない。飯が食えなければ死ぬ。この人達の命は大事じゃないんだろうか?

名探偵コナンは間違っている。真実は一つなんかじゃない。事実は一つだけれど、事実を観る角度によって、人それぞれの真実が存在する。

原発反対、安部政権反対、ヘイトスピーチ反対、は一緒なんだけど、これから先もデモには参加しないし、この映画を観ても、1ミリも心に響かなかった。何故なら、この作品を観て、参加者側の全体主義的な高揚感を感じたから。それは、とても気持ちの悪いものだった。体制側と合わせ鏡のような存在だとも思った。

何故、Stop racism や、Racism is wrong じゃなくて、Hate racismなんだろう。ヘイトにヘイトをぶつけ合う。人々が、こういう活動家に感じる胡散臭や恐怖を、彼らは分かってない。殆どの人達が、ヘイトスピーチをしている人間は嫌いだ。だが、それに反対して罵声を浴びせている人たちも嫌いなんだ。だって、同類にしか見えないんだから。兎に角行動した者を賛美・称賛するプロパガンダがここにある。そのマスターべション的な自画自賛に人々は腰が引ける。

結果として、彼らの行動は何かをもたらしたのだろうか?数万人のムーブメントは、数千万単位で測ると、コンマ数パーセントにしかなりはしない。

何故、政治家や官僚は腐敗するのか。それが人間の性だとすると、システムで止めていくしかない。勿論、人間の能力では、自分達を完璧に制御出来るシステムを作りようがないから、パッチワークを貼りながら、修正に修正を重ねていくしかない。そこには、状況の分析が必須なのに、この作品では、それが全くない。「安倍やめろ」「原発やめろ」「ブラック企業やめろ」叫んでやめてくれるなら苦労はない。何故、やめないのか。やめない方が得になっているシステムなら、どうすればそのシステムは変更できるのか。

大声で他者を威嚇し、殺伐と罵声を浴びせるデモでそれが出来るとは思えない。暴力に暴力をぶつけているのに等しい行為に多くの人たちが賛同するとも思えない。

出演している女性の1人が言う。「空気読まなくなると風通しがよくなるんだよね。空気読むって、この国の悪いところだよね」みたいな発言をする。空気を読んで、風通しをよくするなら分かる。空気を読むのは、相手をレスペクトするからであって、我が国が誇るべき文化背景の一つだ。こんな発言一つにも、どうにも、違和感を感じてしまう。

ヘイトスピーチをするものたちに対して、「あいつらに何を言っても無駄」と切り捨て、罵声を浴びせる。「俺たちは正義」の旗を振りかざして相手に切り込んでいくけれど、結局、やってることは同じことだ。だって、相手へのヘイトだもの。ヘイトスピーチをするものは、何故それをするのか?その根元を止めるにはどうするのか?相手側への取材もないし、考察もないでは、片手落ちとしかいいようがない。

システムを変えるには、システムを変えようとするものが、政権を担うしかない。野党がダメなら、ダメじゃない野党を作るしかない。選挙に行かないなら、行くように啓蒙するしかない。この作品は、その役割を果たしているだろうか?

安倍晋三の街頭演説で、「帰れ」だ「ヤメロ」だの叫んだって、彼は辞めも帰りもしない。当たり前の話だ。余計に相手を怒らすだけだ。ここには、変化を促すロジックも戦略もない。ただただ、沢山人が集まったぜすげーだろ、俺たちの怒りの声を聞けやゴルァ!!では、世の中は変わらない。

自分に出来ることは、周りのひとたちに、「選挙に行こうよ」と伝えることしかない。それに極めてシンプルな理由を添える。自民党政権のもとでは、人口が減り続けてるから危ないよ。人口が減ると、経済は成長しないから、生活は豊かにならないよ、と。野党を勝たすためではなく、自民党を政権から降ろすための選挙を考えてみようよ、と。賛同してくれる人もいるだろう。反対する人もいるだろう。でも、それが民主主義だ。

原発廃止や差別禁止、秘密保護法撤廃、戦争反対は、システムを変えようとするものを選ばなくては実現しない。この作品が、そのために役に立っているのだろうか?この人達を観て、世の中変わると思うのだろうか?つい最近の静岡での衆院補選でも、自民党の新人が勝っている。私には全く説得力を持たない作品だった。

現時点で、フィルマ上でこの作品を観た人は、36人いて、平均評価は4.2。1点台はゼロ。圧倒的なアウェー感を感じつつも、私は私が感じた評価を挙げる。何も最低点をつけることはないんじゃないか、と、思う人もいるだろう。が、私自身は、こういう作品が高評価なのがとても怖い。
開明獣

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