シュローダー

あのこは貴族のシュローダーのレビュー・感想・評価

あのこは貴族(2021年製作の映画)
4.8
東京という都市の中で描かれる「異世界」の姿。そこの中心に生きる人、その外側に生きる人。どちらも抱える悩みは同じ。「実は最初から予定調和で詰んでいる人生」への絶望。その上に降りかかる社会的慣習、社会的性差という名の不条理。そんな人生が約束されてしまっているという事実。クラシックやジャズを聴いていると男に話せば「元カレの影響でしょ?」と言われ、「オズの魔法使い」が好きだと話しても、観てくれない。結局は都合の良い女として消費されるばかりの女性たちの精一杯の足掻きを、この映画は静かに、しかしハッキリと画と物語で語ってみせる。言葉遣いから細かい所作の一つ一つに至るまで、完璧な箱入り娘ぶりを体現する門脇麦と、それとは正反対の水原希子。彼女たちが邂逅する2つの場面が特に分かりやすい。見事なまでに様式化された「分断」された構図が、現実を前に虚しく聳え立つ東京タワーを共に並び立って見上げるまでに至る感情の変遷。無駄のなさすぎるセリフの一つ一つに胃を痛めながら鑑賞する事になるとは思ってもみなかった。それを更に加速させるのが、僕とは決定的に「育ち」が違うブルジョワ層の人間の描き方。まるでマフィア映画でも観ているのかと思わされるレベルでの別世界ぶり。そこに蔓延する厭さもきちんと描写する。その果てに待ち受ける「えぇ〜そこで終わっちゃうの〜!!」と思わざるを得ないあのラスト。まさしくメガトンパンチを食らった気分にさせられる凄まじい余韻だった。この映画を観て、まさか「ゼアウィルビーブラッド」と「悪の法則」を一番に連想するとは思ってもみなかった。124分と、決して長くはない上映時間なのに、観終わった後べらぼうに疲れた。だがそれで良い。映画という表現の役割が「異世界として現実を映し、問いを投げかける」ことだとすれば、この映画はそれを完璧に成し遂げているからだ。我々がいつの間にか内面化してしまっている不条理なまでの「ずれ」小津安二郎がかつて作った様な暗黒都市トーキョーで繰り広げる家庭劇を、「今」この時代だからこそ出来るシスターフッドなアプローチで見せる秀作だった。