ずどこんちょ

夏への扉 ―キミのいる未来へ―のずどこんちょのレビュー・感想・評価

3.4
原作は1956年のSF小説。舞台と時代設定を日本版に変えて実写化です。
原作は未読ですが三木孝浩監督なら、原作ありの映画も美しい映像に仕上げてくれます。

作品の舞台は1995年と2025年になっているのですが、1995年の時点でベルリンの壁崩壊や大阪万博などの実際の歴史と同時に、瞬間移動装置の開発や冷凍睡眠の実用化などの科学技術も進歩しています。
そう、ここは「あったかもしれないもう一つの1995年」なのです。

オープニングでそれらの進展がかいつまんで説明されていたので分かりやすかったです。
冷凍睡眠は実用化され、もうすぐプラズマ蓄電池が開発されてエネルギー革命が起こりそうなのですが、一方で、携帯電話はまだ進歩していません。テレビ番組も平成初期のあの頃のワイドショーの雰囲気。
現実と虚構の入り混じったSFの世界観が結構好きでした。

ロボット開発に携わる若き科学者の宗一郎は、信頼する共同経営者と恋人の裏切りによって会社に開発していた技術や成果をすべて奪われてしまいます。
意気消沈する宗一郎でしたが、抵抗して立ち向かおうとした矢先、返り討ちにあって強制的に30年間のコールドスリープをさせられてしまうのです。
人間を何年もの間、殺さずに冷凍保存しておくことができるなんて恐ろしい犯罪です。いつの時代も発展した科学技術を悪用する犯罪者がいるものです。

30年後の2025年に目覚めた宗一郎は、唯一の家族だった血の繋がらない妹の璃子が行方不明になったと知って絶望するのですが、自分が眠らされた後で会社は倒産し、不可思議なことがたくさん起きていたことを知ります。「このまま知らないままでいられない」と立ち上がった宗一郎は、30年間で何が起きたのか、失った過去を調べ始めるのです。
そして、30年前の事件が起きたあの日、璃子や自身が開発してきた技術の結晶を守ってくれた鍵は自分自身にある事を知るのです。

時間転移やコールドスリープによって実質的に未来へ飛んだり、過去へ遡ったりします。
こういうSF作品を例えばクリストファー・ノーラン監督のような人が手掛けると、何が一体どうなってるのと展開について行けなくなることが多々あるのですが、
本作は原作がタイムスリップ物のSF小説の金字塔とも言える作品であるため、複雑なタイムパラドックスなどの事象は起こらず、非常に分かりやすくなっています。
その分、よくよく探せば矛盾点や理屈に合わないことも多いかもしれません。

ただ、三木監督は本作を丁度良い塩梅のエンターテイメント作品として仕上げているため、変に理屈っぽい設定を付与したり、説明過多にしていないことから特段気にせずに見進めることができました。
「まぁ多分なんとかなってるんだなぁ」と。

主演の山崎賢人も清原果耶も良かったのですが、2025年で出会ったヒューマノイドのPETEを演じた藤木直人も良かったです。
本作では宗一郎の過去を調べる冒険のお手伝いをしてくれるのですが、元々1995年に飼っていた相棒の猫ピートも探究心のある猫だったように、PETEもまたロボットなのに未知の世界へと憧れを持っています。
介護ロボットなのに病院から脱走する宗一郎にワクワクして付いて行くPETE。
そんなPETEを基本無表情で演じる藤木直人なのですが、30年経った頃ににっこりと笑顔ができるようになったのはロボットが前向きで明るい佐藤夫妻や璃子と暮らして学んだということなのでしょう。

そんなPETEが、会社の受付ロボットをナンパして振られたり、「私は最高性能のロボットだから任せろ」的な豪語していたと思えばトラックを止めるための手段が当たり屋的な力技だったり、端々で笑わせてくるのがズルいです。
ロボットなのにどこか感情が見え隠れするような、深みのある良いキャラクターでした。

猫のピートも可愛すぎる!
その眼差しだけで頭良さそうで演技もバッチリ。変な絡み方をする人に対して薄目になって引いたリアクションをする猫。なんて優秀なのでしょう。
そんな探究心の強い猫のピートが探し続けているのが、「夏への扉」です。
寒い冬に雪が窓の外にちらつくと、ピートはどこかの扉を開ければ暖かい夏へ繋がっているのではないかと信じてやまないのです。
それがピートの哲学。

やがて、そんなピートの信念が叶う時が訪れます。
コールドスリープで凍結された後、機械の扉を開ければそこはもう30年後の夏だったのです。
夏へ繋がる扉を見つけたピート。海辺を見つめて驚いた表情をしているピートが最後まで可愛かったです。

作品の一番良いところでLiSAの曲がかかるのは……うぅむといった感じでした。
LiSAの曲は良いのですが、しっかりめの邦楽が流れるとどこかチープな雰囲気になってしまいまして。初めましての曲でしたし。
強いて言うなら、せめてあれだけ推してた璃子の好きなミスチルの曲にして欲しかったです。思い出の曲だからこそ、再会の喜びが演出できたと思います。
劇中に流れる音楽がいかに作品の雰囲気を左右するかが、改めて分かりました。

そう言えば、璃子が好きな曲がミスチルの「CROSS ROAD」で落ち込んだ時や塞がった気分の時にしょっちゅう彼女はこの曲を聴いています。
そもそもこの曲が本作での璃子の心境そのものと、未来を暗示しているようです。
ずっと宗一郎のことを想い続けていても彼の想いとは重なることはありません。原作少々違うようですが本作における宗一郎はあくまで妹として、彼女に幸せな未来を歩んでもらいたいと願っています。
過去を振り返っても璃子にとってその恋心は苦く、辛い気持ちばかりでした。

ところが、宗一郎が二度目のコールドスリープになった後は違います。
彼女は宗一郎が言っていたように、自分の未来を歩み始めます。様々な人と出会い、様々な体験を通して自分自身が子供から大人へと成長する道を歩むのです。
ただし、10年分。それは、宗一郎と璃子の歳の差分です。同じだけの経験を積み、同じだけの時間を生きた璃子は自分自身を冷凍睡眠にかけて、未来へと転移させるのです。
過去を振り返って悔やんだり、ありえない未来を夢見て嘆いたりするのではなく、新しい"今"を生きて、明るく輝く未来へと道を繋げていく。
まさに「CROSS ROAD」の歌詞通りで選曲の素晴らしさを感じました。