ベイビー

ドライブ・マイ・カーのベイビーのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.0
人気脚本家である妻の音と、仲睦まじく暮らす舞台俳優兼演出家の家福悠介。ある日、音は「伝えたいことがある」と悠介に秘密を残したまま、突然病に倒れ逝ってしまいます…

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実によくできた作品。約3時間という上映時間もなんのその。全く長さを感じさせず、終始物語に没入させてくれる、とても素晴らしい作品でした。

チェーホフの戯曲「ワーニャ叔父さん」
音が執筆するオリジナル脚本
そして、悠介を運ぶ人生

今作に限らず、"ドライブ"と"人生"を重ねられることはよくあります。それは共に行き着く先の分からない道を辿る旅。その道中には出会いがあり、別れもあり、思いがけない事故だって起こりえます。

この作品の面白いところは、そこに"物語"も加わることでしょう。戯曲と脚本と悠介のドライブ。一見この三つはバラバラに描かれていますが、物語が進むにつれてその内容は融け合って行きます。さすがカンヌ映画祭で脚本賞を獲得したということもあり、その話の運び方はとても見事でした。

これは僕の勝手な解釈なのですが、戯曲は悠介そのものを表し、脚本は音の内面を表しており、逆に悠介の生き方は、虚勢を張った芝居じみた生活に見えてしまいます。

自分に嘘をつき、無理をして他人に自分の弱さを見せないように生きている悠介の私生活。いくら名だたる演出家とはいえ、実は私生活の方がよっぽど他人に向けて芝居をしている。というたっぷり皮肉ったお話。

僕は村上春樹さんの作品を読んだことがないのですが、この方が書かれる作品の特徴として「男が女に去られ、男は自分の弱さを知る」話が多いそうです。

なるほど、確かに今作といい、先日観た「バーニング」といい、共に忽然と女性に去られる男の話。男は居なくなった彼女との思い出にすがり、あと戻りのできない過去から彼女の姿を探します。そこで見つけるのは自分の弱さ。喪失感と虚しさの後に訪れる孤独から、無知だった自分の不甲斐なさを思い知るのです。

それで言えば、女性は常に男性より冷静に現実を見据え、健かにマウントを取りつつ駆け引きを楽しむ強者。といった印象になります。

それを裏付けるのが音が書く脚本に描かれた女子高生。前世が"ヤツメウナギ"だと言い張る彼女は、空き巣という、いささか破滅的なスリルを味わいながらも、圧倒的に有利な立場から、山賀という好意を抱く男子に自分の"存在"を知らしめようとしています。

その主人公の女子高生は音そのもの。本来なら「子は鎹」という、子供の成長を見守りながら、家族として繋がるはずだった悠介との夫婦生活。しかし、その現実が突如壊され、繋ぎ止める術を失いかけた夫婦の絆。音はその隙間を埋めるべく悠介にある"印"を残し、二人の愛を確かめます。

それは自分という存在を伝えるもの
自分という存在を認めさせるもの

悠介は音の脚本に書かれた山賀同様、重大な事件が起きた後でも普段と変わらない生活を続けようとします。しかしその悠介の優しさは、音にとって寂しさでしかありません。

悠介も音も互いに愛し合うあまり、互いに相手を失うのを恐れ、微妙な距離感でしか向き合うことができないアイロニー。きっと音の秘密とは、空き巣の少女が防犯カメラに叫んだときのように、悠介が見て見ぬ振りをする自分の罪を思い切りぶち上げてやりたかったのではないのでしょうか。

「ドライブ・マイ・カー」

自分の人生を運んでくれるもの
自分の存在を届けてくれるもの

それは他人です。自分を受け入れてくれる他人です。

いくら自分が否定をしても、人は誰かに関わり、誰かに影響を与え、誰かに影響されるもの。そこに目隠しをして、他人に対してちゃんとしたリアクションをしてやれないのは、自分がしっかりと他人と向き合えていない証です。それはちゃんとした罪です。

この物語のクライマックスに差し掛かる少し手前で、岡田将生さん演じる高槻が、独白とも言える言葉の中で「本気で他人を受け入れるには、自分の心に正直な折り合いを見つけることが必要だ」と言います。

"折り合い" = 着地点、妥協点、譲歩、あきらめ…

悠介はこの長いドライブの果てに、正直な"折り合い"を見つけることができるのでしょうか。悠介にとってその"折り合い"とは、一体どんな形をしているのでしょうのでしょうか…

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訥々とした語り口ながらも、複雑に入り組んだ構成をまとめ上げたラストはお見事。この物語の落とし所を「ワーニャ叔父さん」と絡めるあたり、とても素晴らしいと思いました。

そして何よりも出演者の皆さんが素晴らしい。自分の心をオープンにしない悠介を演じられた西島秀俊さんはもちろん、その奥さんである音を演じられた霧島れいかさん。とてもハマり役、そして美しい。

それと寡黙なドライバーのみさきを演じた三浦透子さん。凄くいい演技でしたね、さすがは「鈴木先生」チルドレン。ずっと存在感がありました。

あと、手話で演技をされたユナ役のパク・ユリムさんももちろん素敵でしたが、僕が一番いいなぁと感じたのは、高槻を演じた岡田将生さん。

岡田さんはあの端正なお顔立ちの割に、損な役回りが多いですよね。いつもちょっと半笑いな嫌な奴。「告白」や「悪人」や「何者」など、嫌な役を演じることもありますが、全てが印象に残るんですよね。そして今作もその嫌らしさを存分に醸しながら、しっかり迫真の演技をなさるんです。本当に上手いと思いました。

またダラダラと長文になってしまいましたが、正直まだ感想が言い足りません。それほど緻密で深みと重厚感のある作品だったということ。

とにかく最後に言いたいのは、濱口竜介監督は凄い。
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