まちだ

ドライブ・マイ・カーのまちだのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.4
中盤くらいまでのネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。

今作は「主人公である家福のストーリー」に、劇中劇である「ワーニャ伯父さん」、さらには「劇中の演者と『ワーニャ伯父さん』の関係性」と「作品と私たち観客の関係性」…(細かく言えばもっと)が重ねられており、重層的な物語となっている。
しかし、今作を理解するのに「ワーニャ叔父さん」を読んでいないといけない、散りばめられたメタファーを全て理解していないといけない、と言うことはないと思う。
少なくともこの作品を初めて見る時は、まっさらな状態で見ることをお勧めしたい。この「ドライブ・マイ・カー」という作品に観客自身の身を預け、耳を澄ませることがなによりも重要なことであるし、また、そうすることで観客が何かを感じ取れるような作りになっていると思うからだ。

「喪失と再生」のような手垢のついたテーマは今、中途半端にやってしまうと逆に難しい。今作がこれまで数えきれないほど作られてきた単なる「喪失と再生」の物語をはみ出した傑作になっているのは、劇中劇の制作過程で語られるような「聞く」と言うこと(この「聞く」ことは注意深く見ることでもあるし、感じることでもあると思う)=映画制作の中で濱口監督がこれまで築き上げてきたものが、「自分自身を注意深く見つめること」という今作のテーマと相まって見事に結実したからに他ならないと思う。

岡田将生の車内でのシーン、終盤の舞台上でのシーンや家福とみさきが対峙するシーン…など心に残る場面は沢山あった。
それでも「今作にはマジックがない」と言う人もいるけれど私はそうは思わない。確かに今作にあるそれは「PASSION」のトラックのシーンのようなものとは違う。そのような想定外のものでなく、製作陣がこの作品と誠実に向き合い、対話を積み重ねるなかで作り出された、起こるべくして起きた奇跡なのではないかと思った。

家福と音は序盤で昔、「娘」を亡くしたことが明かされ、その代わりに2人はセックスすることで物語を生み出すようになり、最期に禍々しい「ヤマガの物話」を紡ぐことになるー
今作の主人公は家福だが、「誰」の物語として今作は幕を閉じたか。新しい物語はこれからも紡がれていく、そう言われているようで、そこにも希望を感じた。
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