Maki

ヒロシマへの誓い サーロー節子とともにのMakiのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

原題:The Vow from Hiroshima
公開:2020年
監督:スーザン・ストリックラー
鑑賞:WOWOWメンバーズオンデマンド




▼ ▼ ▼ ネタバレあり ▼ ▼ ▼




●はじめに
もし興味があっても原爆ドキュメンタリーはグロいとか怖くて苦手とかで迷う方がいたらご参考までに。映画の大半は戦後の活動や半生を描く。被爆の惨劇や症状の写真や映像はほとんど出ない。数枚の絵といくらかの口述に限られる。大丈夫、安心して、でもできるかぎり集中できる状態でご覧ください。



いつも素敵な言葉をくださるSTARLETさんのレビューでこの映画の存在を知った。感謝申し上げます。ただ安易な気持ちで「ながら観」もできないため、時間をみつけ踏ん切りつけるまで時間がかかった。

2017年。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞授賞は話題になり、私も「喜ばしいことだ」と想った。しかし「喜ばしいことの一つ」程度にしか捉えておらず、その経緯や歴史や活動に尽力された無数の方々のことまで想い巡らせるに至らなかった。ICANの象徴として授賞の挨拶をされたサーロー節子さんも、寄り添っている竹内道さんも、ベアトリス・フィン事務局長も、この映画で初めて知った。つまりその程度の反核意識・反核知識だ。

サーロー節子さんは1932年生まれ。13歳で被爆。奇跡的に大きな負傷や症状もなく生き延びた。そして2020年時点、88歳まで活動を続けていらっしゃる。ご実家が裕福で先進的な家風(兄姉は戦前、米国留学されている)だからか、外国文化・社会との交流に躊躇がないのがよかったのかもしれない。

とはいえとはいえ70年以上。賛同者や協力者や家族知人の助力に恵まれたとしても、70年以上という驚異。それが何度も何度も「始まったばかり」と繰り返すのだ。想像できないほどの苦渋や諦念を乗り越えてきたはずなのに、まだ「始まったばかり」とはどういうこと。そう口にせざるを得ない、己を鼓舞し続けなければならない、このもどかしく愚かしく融通の利かない世界に放心してしまう。でも私は一鑑賞者だから放心していられる。彼女たち(ICANや、一緒に活動、支援されているすべての方々)は放心する暇もない。ひたすら「光に向かって」歩みを止めない。機械でも化学反応でも脊髄反射でもない。人間の意思がその歩みを止めないのだ。

●ノーベル平和賞授賞:サーロー節子さん演説全文
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=79180

映画でも流れた一部を抜粋。

【私は13歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。
「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。
 それに向かってはっていくんだ」】




この演説にかぎらず節子さんは小難しい言葉・用語を避けて、多くのひとが聴きとりやすく平たくわかりやすい言葉で語る。ともすれば在りがちな常套句にも聞こえる。しかし彼女の積み重ねてきた信念がその発言や表情、所作にとてつもなく重厚な説得力と絶大な拡散力を与える。

ノーベル平和賞は目的でもゴールでもなく活動の付加価値でしかない。それでもこうして経緯や歴史を知ってはじめて大きな意味をもつのがわかる。無知は罪か?無知は恥か?それよりもなによりも、この世界で少しでも長く平穏無事に過ごしたければ、愛したり親しい近しいひとの命をながらえさせたければ、数時間でも新しいことを考える余裕があれば、まずは知ること、知ろうとすることから。
この映画に強く教わった。


●個人的余談1
子供のころ住処転転としたなか、2つの原発は身近な存在だった。うち1つは部屋の窓から見える「麓」で暮らした。のちに緊急停止した。もう1つは2011年に大事故を起こし世界にその名が広まった。

●個人的余談2
映画と並べるには矮小すぎるが。

広島平和記念公園(原爆ドーム、広島平和記念資料館)は、修学旅行で訪問した。一つ一つ何を受け止めたかは書き尽くせないが、私に残っている一番の記憶は「恥ずかしさ」だ。

クラス全員で被爆体験講話を聴いていると、クズなイキガリ男子が、語り手の方に「どうでもええわ!原爆最高!被爆者は早く死ね!」などと罵声を発した。もともと「彼」が無軌道でクズなのはみんなわかっていたけど、まさかこの場でも晒すとは想いもよらなかった。わめき続ける「彼」に私を含め男女何人か詰め寄ろうとしたら、さきに引率教師が羽交い絞めにして会場から連れ出した。騒然となって泣きだす子もいた。再開した語りには申し訳ないけれど集中できなかった。
説教されて男子グループ見学に合流した「彼」は慰霊碑にペットボトルを投げつけ、立入禁止区域に敷き詰められた小石を蹴り散らかすなど暴れたらしい。女子は別行動だったので直接観なかったがその場にいたら掴みかかったかもしれない。施設の方は「残念ながらたまにあることです」とおっしゃったそうだ。情けない。

当時の私も優等生とはいえなかったけれど、それでも「命の尊厳」「ひとの誠意」を愚弄することはなかった。修学旅行のあとも「彼」から何度か話しかけられたがその怒りが止まず関りを避けた。社会に出てもあのままだろうか。誰かと交わり、ある日どこかで猛省する機会を得られただろうか。映画や番組や漫画や書籍で広島平和記念公園に触れるたび「彼」を想い出して、無性に「恥ずかしさ」を感じてしまう。
Maki

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