keith中村

くれなずめのkeith中村のレビュー・感想・評価

くれなずめ(2021年製作の映画)
5.0
 アマプラ、すげえよ。
 これ、ついこないだまで劇場かかってたでしょ? 残念ながら見逃してたので、大変にありがとうございます。
 でもまあ、劇場で観なくってよかったわ。
 だって、一人で観たから、大笑いできたし、ぼろ泣きもできましたよ。
 劇場だったら、おれ、かなり感情を自制しちゃうから、ここまで本作を堪能できなかったと思います。
 
 さて。
 広い網にかけると、本作の構成は、物語の枠組みとしては定番中の定番で、山ほどあるタイプ。
 自分の脳を「2010年代」「邦画」「青春映画」という狭いキーワードでググっても、ぱっとヒットするものに、「横道世之介」「葬式の名人」「佐々木、イン、マイマイン」がある(←「ググる」の使い方がはなはだ間違ってる)。私はそこまで熱心に邦画を追いかけてないので、多分ほかにももっとあるでしょうけど、面白いのは、これら作品で、結構俳優陣がかぶっているところですね。
 
高良健吾:「横道」、「葬式」と本作
前田敦子:「葬式」と本作
藤原季節:「佐々木」と本作。
 
 それぞれの作品で、誰にフォーカスしているのか、つまり主人公は誰なのか、を比較するのも面白いですよ。
 しかも、これらのすべてが全部傑作です。
 ここに挙げたうち、未見がある方は是非見比べてください。
 また、「この映画もそうだぞ」って思いついた方は是非ぜひ教えてください。
 
 この形式の映画が訴えるテーマ(の一つ)には共通性があって、本作ではそれがちょっとだけセリフで呈示される。
 ネジくんの途中のセリフがそれ。
「永六輔だ。人間は二度死ぬ」
 「007」じゃないですよ。「7」じゃなく「6」のほう。永六輔さん。
 セリフではそれしか言ってないけど、永さんは実際にはこんなことを言ってる。
 「人間は二度死ぬ。一度目は生命を終えた時。二度目は誰の記憶からも忘れられた時」
 
 言い換えると、「人間は、誰かに記憶してもらっている限りは死なない」ということですね。
 この手の作品が語るのはすべてそれ。最初の方に書いた、「広い網(死者を回顧する作品=自分の青春を懐かしむ作品)」で言っても、「スタンド・バイ・ミー」だったり、「サニー」だったり、実は「タイタニック」にしてもそうでしょ? あと、これも今年の邦画で、このジャンルとしては変化球のミステリー仕立てだった「名も無き世界のエンドロール」もよかったなあ。
 
 逆の映画もありますよ。
 逆というのかな。亡き人の記憶に囚われるあまり、(他人から見たら)不幸な結末を迎える作品。
 私が大好きな「ある日どこかで」がそうだし、今劇場にかかってる「レミニセンス」もそうだもんね。
(俺にはどっちもハッピーエンディングなんだけどね)
 
 この手の映画には多かれ少なかれ、「映画的飛躍」があります。
 「横道」にはあったっけ? もう観たのが結構前なので、細部を忘れちゃってます。
 「葬式」にも「佐々木」にもありますよね。「えっ、何その展開?!」ってところ。
 「佐々木」の場合は、最後の最後にいきなりそれをやるので、「蘇生したのっ?」なんて誤解しちゃう人もいるかもしれないけれど、あれは「映画的飛躍」ですね。死んでるけど死んでない。
 本作は、人によっては、そこが受け付けないかもしれない。
 
 本作は、何しろ最初に映る人がそれだもんね。
 ただし、これは映画でも文学でも、それほど珍しい表現方法じゃないです。
 文学としては、ドナルド・バーセルミの「死父」(これは、さらに馬鹿みたいに飛躍しているポストモダンだったけど)とか、色川武大の「怪しい来客簿」とかね。
 映画で言うなら、「エクソシスト」のカラス神父はこれで苦しんでたね~。あれは「後悔するほうの記憶」だから。
 だから、本作でも、永さんいうところの「二度目の死」までは迎えてない彼は、そこにいていいんです。
 ひいては、終盤の「そっからさらに飛躍するの?」ってのも、のっけから飛躍してるから、それを超えるジャンプもしくはリープのためには必要だったのです。
 
 ちょっと別の話にしましょう。
 タイトルは「くれなずめ」。
 これ、いいですね。
 観る前はまったく意味がわからない。
 私の世代では、なんつっても金八っつぁんの主題歌。
 「くで~だずむ~ばぢぃの~」ですよ。わざわざ物真似を誇張した歌い方にしなくていいんだけど、著作権対策ね(嘘)。
 
 「くれなずむ」って、夕方陽が落ちていく、ちょうど「誰そ彼時」のことですよね。
 それを命令形にしてるのが良いです。
 こういう文法的には正しいけれど、用例的には存在しない発明という点で、私が思い出すのは町田康の発明フレーズ「耕った」。
 「耕す」って、他動詞ですよね。人が頑張らないと畑は耕せない。
 でも、「告白」の主人公熊太郎はあまりに思弁的な人間なので、畑が勝手に自動詞として「耕る」ことがないだろうか、と考えちゃう。「耕った、耕った」などと誤魔化すわけだ。
 ここ出版時に読んで大爆笑して、そっから人生で何度思い出してもニヤニヤしちゃうもの。
 
 で、「くれなずめ」ですよ。
 「耕る」と同じく、文法的には間違ってないけど、こんな命令形はない。
 観る前に考えて、「昼から夕方になれ!」ってことでしょ? どういう意味? なんて全然予想できなかった。
 そしたら、主人公たちがもう30手前なのに、高校時代と同じバカばっかりしてるじゃないですか。
 なるほど、だから、「くれなずめ」! お前ら、歳も歳だし太陽が落ちるように、そろそろ落ち着け! って意味なのかと思ってた。
 多分それもあるんでしょうね。
 
 ただ、もう一つ後半に「彼」に対して「暮れなずんでるなあ」って台詞もあるので、それだけではない「主人公たちの記憶の中で生きている彼」の有り様自体を表す意味がメインなんだと理解しました。
 死者に対する接し方って、3パターンってことなんでしょうね。
 「昼」は、失った人をまだまだ日光が燦燦と照らして、否が応でも記憶に上ってくるんで、後悔や葛藤をしている状態。
 「夜」は、失った人に一切光が当たらず、だから誰も死者を思い出さない状態。二度目の死を迎えちゃった状態。
 「暮れなずむ時間」はちょうどその中間。失った人に薄暮の光が当たって、だからちょうどよい塩梅の記憶になってる。
 それこそ「誰そ彼?」ってくらいで、均衡が取れる。
 「くれなずめ」って、そういう状態に「彼」がなってくれよ! 言い換えれば、「そろそろ俺たちがそうなれよ!」って自問してるってことなんでしょうね。
 
 私、てっきり新幹線に乗れず夜行バスに切り替えた「彼」が交通事故で亡くなったがための悔恨なんだと勝手に想像してたら、そうじゃなくって、その半年も後に亡くなったって話になる。
 幸か不幸か、私は類似する経験はないんですが、実際はそれでも「あの着信に気づけなかった自分」って後悔しちゃうんだろうな、と思いました。
 ちなみに、松居大悟監督の実体験が投入されているらしいですね。
 「最後に全員が揃った瞬間」をタイムトラベルものでもないのに、繰り返した終盤もぼろ泣きでした。
 そうやって、「彼」を「くれなずませて」ゆくしかないものね。
 
 ストーリーだけじゃなく、ちょっと映画的演出面も褒めとこう。
 オープニング、めっちゃワクワクしますよね。
 だって、松居監督っつったら、「アイスと雨音」もあるんで、「もしか、今回も全篇ワンカット(風)か?」って。
 それは、ヒッチコックもやったけど、映画的表現の大部分を封じざるを得ない手法なんで、ヒッチおじさんをしても「失敗だった」と言わざるを得なかったもの。だから本作ではいいタイミングで切ったところもよかったですね。
 「ゼロ・グラビティ」を観た時も同じように思った。
 「あっ、ここで切るんだ。こっちも緊張してたけど、いい感じで弛緩できてよかった」
 それと本作では長回し以外にも「白い壁とガミガミ言う女性」とか「3秒ルール」のイメージで過去と現在をコネクトする演出も良かった。
 
 あとは何と言っても前田敦子ですよ。
 もう、ほんとに敦っちゃん、素晴らしい女優になりましたね。
 「葬式」も良かったし(本作と立ち位置がそっくりでしたね)、「町田くん」も最高でした。
 今回もやっぱり見事でした。もう、マエアツ最強。マエアツ無敵。
 高校時代のヒステリックなガミガミキャラも、「あるある」で面白いんだけれど、白眉は、告白してきた「彼」に詰め寄るシーン。
 ここはもうやばかった。鼻がツーンとなるくらい泣いた。
 で、泣いてたら、一度去って、また戻ってきて啖呵切る敦っちゃんに今度は大笑いした。
 
 エンディングも長回し。こっちもよかった。
 みんなが「くれなずむ黄昏時」に、スクリーンの向こうに去ってゆく。そこにタイトルがオーバーラップして。
 ここ、電車のタイミングが絶秒でしたね。
 画面の両側から水平に走ってきた列車が、スクリーン中央で綺麗にすれ違う。
 これ、偶然の産物? 意図したものなら、ダイヤを正確に調べて、完璧なタイミングでカメラを回し始めないと無理でしょ?
 ダイヤを調べても、鉄道って最小単位が15秒なんで、毎回同じタイミングじゃ走ってくれないから、やっぱ相当困難でしょ?
 NG出しちゃったら、リテイクは翌日(以降)の同じ時間じゃないとできないわけだしね。
 かと言ってCGで加工してるようには見えなかった。
 計算してるとすれば鮮やかすぎるし、偶然だとしたら、本作が「映画の神に祝福されてる」ってこと。
 私たちも自主映画作ってた頃、電車が絶妙のタイミングで写ってたら、めっちゃ嬉しかったもんね。
 
 まあ、そんな風に、最初のカットから最後のカットに至るまで、最高の映画でした。
 いろんな映画を引き合いに出したので、そんなに比較して観られねえよ! と思われた方もいるかと思います。
 一本だけ絞るなら、やっぱ「佐々木」かな。
 「演劇」「カラオケ」「藤原季節」「裸踊り」「故郷に残った友」など共通点が非常に多いので、見較べてください。
 どっちも傑作です!