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マルコム&マリーのHrtのレビュー・感想・評価

マルコム&マリー(2021年製作の映画)
3.5
「ありがとう」の言葉がなくても深夜家に帰ってきてチーズマカロニを作ってくれるマリーの懐の深さよ。
アメリカ人にとってスピーチって結構重要で、限られた時間で何人の関係者にお礼を言えるかゲームになってるところがある。
アカデミー賞とか見てて受賞者が口々に関係者の名前を矢継ぎ早に言っていくアレだ。
見てる側からすれば知らんヤツの名前がただ羅列されるだけのうんざりする時間なんだけど、結局のところあの場で名前言ってくれってことなんだろう。
みんなが関係者の名前だけ言って壇上を後にするものだから一時期アカデミー賞ではその映画に関わった人の名前を作品受賞時にリストして流すことをしていたんだけど、それでもステージに上がる受賞者が感謝スピーチを止めないので即廃止になった経緯があるほどその磁場は強い。
それはマリーも例に漏れず、だがマルコムの感謝リストからは漏れてしまった人だ。
それに端を発して100分間の大戦争が始まる。
お互いを知り尽くした者同士、死力のマウント取り合い。
2人とも自分のターンが来るのを待って、相手のターンではやられ役に徹する。
それが何度も繰り返され、次第に笑えてくるようにまでなってしまう。
各々タバコを吸うなりトイレに行くなり風呂に入るなりアルコールを摂取するなりしてクールダウンしては、また相手を抑えつけるような言葉を考える。
クライマックスはマリーが迫真の演技でマルコムに迫るシーンだった。
マルコム「オーディションでやれよ!」
その通りだと思った。
お互いを理解していると自負していながらも自分の知らない側面を目にする2人。
愛憎入り混じりながら混沌としていく時間にモノクロの映像が溶け込んでいくようだった。
スタイリッシュな画作り、カットの妙。
ワンシチュエーションの閉鎖的な舞台。
コロナ禍で制作されるにはちょうどいい作品であり、アメリカ流「おうち時間」である。
コロナ禍でコロナそのものには言及しない(コロナが生活の一部となった社会を描かない)ところに日本との違いを感じて面白い。
アメリカ版『花束みたいな恋をした』の爆誕。
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