このレビューはネタバレを含みます
2002年に公開された「アレックス」の再編成版。
逆行から順行へ。
邦題で「STRAIGHT CUT」と言っているとおり、前作「アレックス」の特徴であった終焉(現在)から出発点(過去)へと遡る時系列の流れを再編集し、本作では正順のままストレートに物語が進んでいきます。
一見、前作の最大の特徴をゴッソリと削ぎ落とし、せっかくの作品の魅力が薄まったように感じられますが、でもこれはこれで面白く、前作では気付けなかった新たな発見もありました。
まずは出だしからの印象が全く違います。前作はかなり衝撃的な内容から始まり、強烈な不快感を植え付けて行きましたが、話が進行するにつれ、徐々に汚れのないピュアな世界観へと移行する印象が残りました。言わば闇から光へと向かうグラデーションです。
しかし今作は前作と真逆な進行(順行)で描かれているので、物語はアレックスの輝くような幸福感から描かれる形となります。
公園で子供たちがスプリンクラーの周りではしゃぎ回るシーンはその象徴で、アレックスはその幸福感に浸りながら静かに一人本を読んでいます。その映像はまるで夢の中のようでもあり、くるくると俯瞰で眺める視点は、幸せを夢見るアレックスの目線と言えるのかも知れません。
それで言うと、その後の恋人のマルキュスとベッドで戯れは、現実的なアレックスの幸福感。よくある男女の愛の形です。
もうこれだけで、前作と今作とのテーマが違うように感じられます。前作はノエ監督が一貫して表現し続けている、"汚れから純粋"の移り変わりを描き、"愛"や"純粋"は時と共に劣化するものだという主張が強く感じられましたが、それとはうって変わり順行で物語を追う今作では、"愛"がテーマとして再編集された印象が残りました。その根拠は二つのポスターにあります。
まず一つ目のポスターは、前作にあった「2001年宇宙の旅」のスターチャイルドのポスターのシーンが、今作ではまるまるカットされていたことです。
あのポスターはアレックスが子を授かった暗喩であり、ノエ監督がいつも示している、"純粋"や"無垢"の象徴だったはずです。今作はただ単に権利の問題でシーンをまるまる省いたのかも知れませんが、しかしあのポスターがないことで、"汚れから純粋"というテーマが薄れてしまったのはたしかです。
それからもう一枚は、ベッドの横に立てかけてある「WHAT'S LOVE」と書かれたポスターです。もちろんこのポスターは前作にもあったのですが、今回の順行の編集で見てみると、このポスターが冒頭に出てきたことによって、この物語の全てを暗示しているように見えてきます。
「WHAT'S LOVE(愛って何?)」
素朴故に難しい問いかけ…
この言葉を意識して物語を追い続けてみると、
ベッドの上で戯れる二人の愛
電車の中で議論していたSEXの相性で分かる愛
いつまでも未練を残すピエールの愛
愛と快楽は別物だと考えるマルキュスの価値観…
このような各章毎で表現される様々な"愛"の形の中に、いつも付き纏うのが「愛って何?」という言葉。
この物語の愛は純粋から始まり、そして徐々に愛は短絡的な姿に変わって行きます。しかしそれは"愛"と呼べるのでしょうか、本当の"愛"って何なのでしょうか?
この真の問いかけはその後突然訪れます。そう、それはあの赤いトンネルの中で…
すべてが変わってしまったあの瞬間。すべてが崩れ去り、これまでのすべての"愛"が否定されてしまいます。あの悲劇から本当の"愛"が試されるのです。
復讐は愛の修復ではなく怒りや憎しみの捌け口です。例え怒りに任せて報復できたとしても、その愛はもう元には戻りません。時間は常に不可逆で、もう過去には後戻りはできず、この因果応報の果てに溢れ落ちる言葉は、
「愛って何…」
もう取り返しのつかないこの破滅の苦しみは、人生を変え、愛の形を変えてしまいました。きっとこの不可逆に抗えないやり切れなさは、逆行進行で描かれた前作では見つけにくいものだったと思えます。
進行を正順と逆順と変えただけで、物語の読後感をガラリと変えてしまう作家性。そして深く脳裏に突き刺さる、狂気と愛のコントラスト…
ああ、やはりノエ監督は凄い。凄いのは認めますが、トラウマになりそうな映像作りだけはもう勘弁してください…