昭和から令和にかけてまっすぐに生きた父と息子の物語。不器用ながら温かく息子を愛する父。若さゆえにそんな父の真意までは理解できず自分の道を模索していく息子。周りで見守る人たち。親子の愛や絆とはなんだろう、と問いかける直球の物語。
昭和30年代岡山。荒くれながら働き者のヤスは妻に出会い、小さな幸せを得て息子にも恵まれる。しかしある日、事故で妻を失う。残された息子を男手一つで育てていくヤス。妻の事故の真実はアキラに告げられぬまま。そんな不器用なヤスとどこか拗らせたようなアキラが紡いでいく家族の歴史の物語…
時代考証が素晴らしく、セットも作り込まれていて、町の雰囲気が昭和に見事にタイムスリップしている。そしてさすが瀬々監督、という画の見せ方がよかった。各ドラマも見ているけどこの親子の組み合わせもいい。阿部寛のヤスのぶっきらぼうさ、不器用さ、その中の温かさの加減がそのへんにいそうな昭和世代の男をうまく描いていたと思う。アキラの北村匠海の拗らせた素直になれない感じは彼の真骨頂。この手をやらせたら本当にうまい。父の愛の本当の深さにまでは思い至らず、距離感をうまくとれない思春期のアキラにとても共感できた。
母の事故の真実を知ったとき。旅立ちの日にトイレにこもったヤスと車を追いかけるシーン。幼い頃担げなかった神輿をアキラが担いだ祭の日。このあたりが強く印象に残った。子どもは一人で育てるのではない、という人情の部分を担う姉(薬師丸ひろ子)や親友(安田顕)、親友の父の住職(麿赤兒)などのころあいがとてもちょうどよく、特に安田顕の存在感がきわだっていてよかった。
男手一つで生きていくのは大変な時代だっただろう。昭和とはそういう時代だった。男は外で働き、妻が家を支える。その役割固定の時代の中で、そこから外れて生きることの難しさ。見守ってくれるコミュニティがあることが救いでありながら、その胸の内はとても心細く孤独だっただろう。それゆえ息子とも不器用に距離を取り、家を出るなら戻ってくるなと言い渡すあり方に、昭和の男の役割とはなんと重くて苦しく孤独なものだったのだろうとも感じてしまった。時代が変わり、息子が作っていく新しい家族像。その描き方に、過ぎゆく時代を生きた男の生き様みたいなコントラストを強く感じた。
話自体は少し長尺で、もう少しエピソードを絞ってもよかった気もする。ラストの老けは少し現実に引き戻されてしまう感じもあってもったいなかった。それでも、重松清ワールド全開の昭和の義理人情の物語はまっすぐに私の心をとらえてくれて、随所で泣けた。テーマのように使われていた小林旭の「ダイナマイトが五百屯」も印象的だし、車を降りてきたヤスが口ずさんでいたフィンガー5にも心が踊った…