実はかなり楽しみにしていた今作。
アリ・アスター×ホアキン・フェニックスなんて観るしかないじゃないか!
ただ他のアリアスター作品もそうだろうけど、超絶面白く興味深く観られる人と、一貫してなんじゃこりゃ?ってなる人は分かれるだろうなと感じた。
ともかく相性は分かれる。
私は人の精神とか心理とかそういうのにめちゃくちゃ興味を持って深掘りしたくなるクチで、完全前者の方だったけど。
むしろ3時間の上映時間、体感2時間半行ってないけど。笑笑
以下、内容や結末のシーンにも触れていくので、フレッシュな気持ちて観たい人、ネタバレ回避したい人はUターンどうぞ。
大丈夫なひとはスクロール。
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いくつかのステップで話が進んでいくけれど、アリ・アスター特有のどこかイッちゃってる主人公=ボーの目から見る世界が延々と描かれている本作。
一貫してあまり「普通」「マトモ」そうな人は出てこない。
端から端まであまりに吹っ飛んだみなさんとしか出会わないもんだから、最初の方は「これって頭の中で見えてる世界なの?」「どこまで(物理的に)本当に起こってること?」と、ボーの目の前で起こっていること(事実)とイマジナリー(頭の中の想像の産物)の境目が分からなくなる。
いくつかの出会いと別れ(というには強烈だけど)を体験して実家にたどり着く頃には「これはぶっ飛んだアリ・アスター流【母をたずねて三千里】なのかしら」と思い始めることになるのだけど、そこで終わらずさらに2転、3転。
母の葬儀のあとに流れてくる「大好きだった曲」なんて聴いた日にはそこに最期までコントロールや洗脳みたいな「母親による壮大な自分神格化」的なのを感じてそら恐ろしくなり、「こいつは自分と息子の息子の人類補完化計画かいな!」とすら感じてしまうことに。
そして、えーっ、えーっ、と言ってるうちにまたひとつ。
中盤から後半にかけてのターンで感じたのは、「愛とコントロールと洗脳と宗教って使い方次第で似てるよな」ってこと。
母親が息子に向ける愛はその最たるもので、この作品でメインの流れにあるのはそれ。
でも不思議なのは最期のところで、ここへ来てずっとボー目線で見てきたものが、母親の気持ちが分かりはじめて、ついにラストではそっちの比重が大きくなったこと。
これは多分に個々の性質や経験に寄るところが大きいとは思うけど、弱者(と便宜的に分類される存在)の無垢で全く悪意のない搾取(これは結果的にそうなったもの)に悩まされる体験があったかどうかで変わるかも。
これが徹底的に庇護される側の体験が強い人なら感じないのかもしれない。
もちろんどっちも悪くは無い。
困ってる存在がいて、助ける存在がいて、でも助ける側だっていつだってゆとりがあるわけではなく、余裕がなくなったときには「搾取されてる」感覚って生まれるもの。
特にあからさまには出されないけど「あなたは助ける側だよね」という空気を本人からだけでなく周囲からも感じて、たいして余裕もないのにやってると、この母ちゃんみたいになると思う。
むしろ、誰も悪くない、悪意がないから余計拗らせてしまうやつ。
だから、最後の最後はどこかで緊張で膨らんだ風船が弾けて全部中身が拡散してくみたいに、妙な解放感があったりした。ある種のカタルシス。
終幕後、思った以上に高揚してる自分にビックリ。
なるほど、ここまで来るとアリ・アスターはただとち狂っているのではなく、この物語を紡ぎながら自分セラピーしてんだなと納得する。
て、私、ヤバいひとなのかしら。笑
(でも実際そういうセラピー系の瞑想法とかあるんだよね。)
とかく今作で、アリ・アスターの頭の中と自分は親和性が高いというか、相性良いんだなってことが確定しました。
あと何回か続けて観られる。
面白すぎる。
これの前夜にBSで「エゴイスト」、直前に「身代わり忠臣蔵」観てたけど全部吹っ飛びました。笑