そーいちろー

ボーはおそれているのそーいちろーのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.5
タイトル通り、3時間ひたすらボーがおそれているだけの映画ではある。何を恐れているか。強大な母性愛であり、その実像である母だ。母を恐れるあまり、あらゆる外部の世界を恐れるボーの唯一の救いは思春期に出会った少女エレインの思い出と彼女からもらったポラロイド写真だ。本作はほとんどボーの悪夢をそのまま映像化したような作品ではあるのだが、基本軸は「男性にとって乳離れするとはどういうことか?」「重すぎる愛は被対象者にとっては重荷となり、逃避行動、破壊行動を取らせる可能性がある」というようなテーマで語れるかもしれない。冒頭の毒蜘蛛、というのはまさに捕食者である母の象徴と言えるかもしれない。ヘテロセクシャルの男性、という限られた前提を置くのであれば、象徴的な乳離れ現象とは、母以外の異性と結ばれること、童貞喪失であると(誤解を恐れず単純化)すれば考える事ができ、ボーはそれゆえにエレインに憧憬を抱き続けるし、他方で自分の家系が性的興奮とともに、童貞喪失と共に亡くなる運命であることを恐れているがゆえ、心理的、物理的な形で乳離れが出来ていない。まさにその契機を遂げると共に、ボーは甦った母により、真実と自分の見たくなかった一面と向き合わされる事になる(そういう点で言えば、本作の語りは信用出来ない語り手という側面もある)。ラストシーンや途中の森の孤児たち(この劇中劇における「オオカミの家」の監督のアニメシーンが本作において秀逸である)で繰り返されるボーの長い旅路(そして彼の目的地には決して辿り着けそうにない)は、ニーチェの永劫回帰、ダンテの神曲を思わせる。途中途中、どこまで本気なのか分からないようなホラーが行き過ぎるとコメディと言ったようなシーンも多く、アリアスターのとりあえず今の全てを出してみた、みたいな内容であった。比較的寓話的、幻想的である点を踏まえると「哀れなるものたち」との共時性も感じられた。欧米ではチャーリーカウフマン作品の影響が語られているようだが、確かにそんな感じ。「ミッドサマー」的なものを期待して観にきた観客は肩透かしを喰らう感じではある。3時間は、長いかな。
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