Kachi

彼女が好きなものはのKachiのレビュー・感想・評価

彼女が好きなものは(2021年製作の映画)
4.6
【単なるLGBTQ映画には収まらない良作】
※途中からネタバレしますので、未視聴の方は冒頭1段落だけで

最近、LGBTQ関連の映画を鑑賞する機会が増えた気がする。でも多くは欧米発の作品。本作でも出てきたQueenのフレディ・マーキュリーのスターダムと葛藤を描いた「ボヘミアンラプソディー」しかり、天才数学者アラン・チューリングを描いた「イミテーション・ゲーム」しかり、「リリーのすべて」しかり。そんなこともあってか、理性(頭)では理解できたような気になっても、どこか他人事のような感覚が残ってしまう。同じ地球上の人々の出来事であっても、時代や国・地域が違うために本作でいうところのファンタジーの域を出ない。

本作は、日本で生まれ、日本で育ち、LGBTQについて特に深く考えたことがなかった私のような人間が、LGBTQを自分事として理解するための登竜門のような作品だと思う。

本作が、原作からどれくらい映像化にあたって省略したり脚色したのかは分からない。ただ、バランスが非常に取れた作品であると感じた。LGBTQに対する理解が「普通になってきたとは言い難い」と「それでも理解を示せる人が出てきている」というちょうどその中間点にある等身大の日本の実情を描いており、途中からすっかり作品世界に引き込まれてしまった。この鑑賞体験を通して彼ら/彼女らに対する見方・考え方に対する理解が、一歩前進したようにも感じられた。

ここからは散文的に思ったことを備忘録として残す。

1.世界は物理の問題と違って摩擦をなかったことにできない
本作においては、性的指向がストレートであることを前提としており、それ以外の場合は「無いもの」として考える、ということが実際には出来ないということを直接的には意味した言葉である。

ただ、これは何も性的指向に限らず、あらゆることに言えることも本作は仄めかしている。純君が冒頭で電車に乗るシーン、電車の広告は出生から死亡までのライフイベントを支援するサービスを宣伝するものに溢れていた。社会から無言で「これが普通である」と押し付けられているように感じるのは、結婚をするかしないか、結婚をしたとして子どもを育てるか否か、といった画一的な社会観から少しでも外れた人の「生き辛さ」を代弁しているような描写にも見え、冒頭から配慮が見て取れた。純君自身が感じる「普通になりたい」という欲求の発露には、日本社会の風潮があるということをまず表現している。

2.クラスメイトのバランス感
彼女となる三浦さんや純君の幼馴染の亮平君の役割が絶妙であった。なぜ、前述のような日本社会で純君に対して理解を示せるのかを説明するのに十分な背景を持っており、それが後半になればなるほど際立ってくる。また、一癖あるクラスメイトの小野は、うわべだけの理解を装う偽善者ぶるクラスメイトや担任の先生に対する強烈な言葉の投げ掛け・応酬をする点で、物語の中でも最重要の役割を果たしているように思った。

3.マコトさんのリアル
純君の彼氏であるだけでなく、性的指向と世間体の間で妥協した一つのサンプルとして彼を観ると、複雑な思いになる。マコトさんの大人の余裕と性的指向に対する日本社会の理解に関する諦念は、現に今の日本にも少なからずいるのだろうなという想像を喚起してくれた。

4.終盤の三浦さんの大演説
月並みだが感極まったシーンだった。特にLGBTQの人たちが作っている壁は、自分を守るためではなく、周囲を守るための壁であるのだ。驚かせたり、世界を複雑にしないための配慮なのだ。という言葉ほど、彼ら/彼女らの心情を適切に表現している言葉はないのではないかと思うほど首肯させられた。

簡単に分かったと思ってはいけない。分からないと謙虚になって向き合うことが大切だ。という普遍的なメッセージを本作も発出しており、見ごたえ十分であった。
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