keith中村

ディア・エヴァン・ハンセンのkeith中村のレビュー・感想・評価

4.8
 今年はミュージカルが豊作で、とはいえ、それらの中でもベスト級に素晴らしいのは、「ハイツ」と「チクチク」と、あと最近配信でようやく日本語字幕がついた例のやつで、それが全部リン=マニュエル・ミランダ作品というものすごい事態になっているわけです。本作はリンさん作品じゃないけれど、これまた公開前からかなりの鳴り物入りだった作品。
 予告篇時点で面白そうだったんだけど、「なんだよ、このデーブ・スペクターみたいな主人公は」とも思った。
 ベン・プラットくんですね。
 苗字が一緒だからもしやと調べたら、やはり本作のプロデューサー、マーク・プラットの息子ですね(←なんて書くと七光りみたいだから、やめてあげて!)。
 いや。ベンくん、そもそもの舞台でも主演だし、素晴らしいんですよ。デーブ・スペクターに似てることを除けば。
 
 さて、本作は私の大好物の「シラノ・ド・ベルジュラック」ものでしたね。
 言い換えれば「手紙代筆もの」。
 ただ本作が、シラノものとして変化球なのは、「第一の手紙」が意図的な代筆ではなく、誤解からそう解釈されてしまったというところ。
 そこから已むなくエヴァンくんは、シラノと化してゆく。
 そこもユニークなところで、本作における手紙の代筆は「進行形の、来るべき未来への希望を込めた代筆」ではなく、「終わってしまった物語の再構築」となっている。
 これは、同じく私の大好物である、「人はなぜ物語を求めるのか」「物語による癒し・救済」というテーマに繋がっていて、ここも良かった。
 あと、中盤の「ネットごしの歌声による救済」は「竜とそばかすの姫」と結構似た展開でしたね。
 
 とはいえ、観てる間ずっとハラハラしてました。
 だって、この手の物語は、「バレてからどう着地するか」がキモであり、第二幕までがいくら素晴らしくっても、第三幕のそれがどうなるかが物語の出来を決定づけるものだから。
 しかも本作では、どうやっても釈明できないところまで事態がエスカレートするじゃないですか。
 こんなの、全部掬い取れる着地点なんてあり得ないと思っちゃうの。
 
 その意味で、本作最大の功労者はエイミー・アダムスでしたね。
 物語の「受容者」って、自分の都合において、自分に都合の良い物語を望むものなんです。
 私たちが映画を好きなのも、そうだからでしょ? 私たちって、いつも「もっとないの?! ねえ、もっとないの?!」って物語を渇望してるわけじゃないですか。
 でもって、我々「受け手」は「作り手」が「どれだけ傷つきながら物語を紡ぎ出しているか」ということをついつい忘れがちになる。
(だから、「キャビン」のラストで、物語に奉仕している作り手たちの姿を見て、あれはただのホラー映画なのに、「ありがとう、ありがとう」って訳わかんない涙が出ちゃうのですよ)
 
 なんだっけ?
 そうそう。エイミー・アダムスさん。
 「自分の都合において、自分に都合の良い物語を望む」あまりに作者を傷つけて束縛する「読者」って意味では、この対極に「ミザリー」のキャシー・ベイツおばさまがいるじゃないですか。
 あの映画のアニーさんは物理的に歩けなくなるくらい作者を傷つけてたけどね(笑)。
 
 でも、エイミーさんは違うの。
 正直、あの人の立場なら、エヴァンくんに激怒してもいいし、誹ってもいい。
 
 でも、エイミーさんは違うの。
 「物語の作り手がどれほど傷ついて、それでも血を吐くようになんとか『受け手』のために物語を紡いでいたか」を想像して理解して、全部代わりに引き受けるの。
 
 「息子を二人も失いたくない」
 エイミーさん。あなたは菩薩ですか?!
 私のような、享楽的物語受容(aka需要)乞食には、百万回生まれ変わってもたどり着けない境地。
 やっぱ、何年か前、「メッセージ」で、トラルファマドール星人的な宇宙人と交流してたのが全部見通せるようになった原因なんでしょうか?!
 本作は、エイミーさんなしに傑作足りえなかった作品だと思います。
 
 だってさ!
 ジュリアン・ムーアが高校生の子供を縛り付けてる感のある映画といえば、クロエちゃんでリメイクした「キャリー」があったじゃん!(「ミザリー」「キャリー」。なんか今日は引き合いに出す映画が韻踏んでるな。しかも両方スティーブン・キングだし)
 だから、エヴァンくんのお母さんがジュリアン・ムーアって、こっちも結構絶妙なキャスティングでしたね。
 でも、どっちのお母さんもよかった。
(本作ではクレジットの「トメ」はエイミーさんでした。やっぱそっちに軍配が上がるか~!)
 
 「ブックスマート」のケイトリンちゃんも相変わらず本作でもよかったな~。
 この子、ギター弾いてるんだけれど、メインで弾いてるのがダン・エレクトロって、渋いチョイスでしたね。
 あと、部屋にはマーティンのアコと、あれはレス・ポール・スタジオかな? が置いてあった。
 お兄ちゃんのコナーくんもやっぱマーティンのアコ弾いてた。
(ひゃあ! おれも、こんな金持ちの家に生まれたかったわ!)
 
 さっき、トラルファマドール星人って書いたけれど、コナーくんの「お気に入り本リスト」のトップがヴォネガットの「猫のゆりかご」でしたね。
 あと、何があった?
 「星の王子様」と「レディプレ」と「依頼人」と。
 あかん。歳取って映像記憶が劣化してるわ~。思い出せない。
 何カ月か後に配信されたら一時停止して見返そうっと。
 
 本作もまた満点にていい映画なんですが、ちょっとだけ減点したのは、エヴァンくんが第三幕でようやくやった「歴史の掘り起こし」ってさ。周到な物語作者なら、序盤でやってるはずの行為なんですよね。
 「印象批評だけで人物像を解釈して表現したら、猛バッシングされた」→「熱心に背景を調べて外在批評にまで進化した」って、ダメな映画評論家(←最近はそう名乗るのが怖くて「映画コメンテーター」としか名乗れない人が増えたよね!)みたいな感じでしたよ。
 
 なんて書いてる私も、ダメな大人になったな。
 日々やり過ごしながらの反復的日常を送れるようになった大人の視点で観てるんで、上から目線でエヴァンくんに駄目出ししてるけど、私だって高校の頃はエヴァンくんと同じだったんだから。
 大人ってヤ~ねぇ~。
 
 でもさ。お母さんのジュリアン・ムーアが歌うじゃん。
 BIGなこともSMALLになるのよ~♪
 だから、エヴァンくんもきっとそうなれるよ!