keith中村

ミラベルと魔法だらけの家のkeith中村のレビュー・感想・評価

ミラベルと魔法だらけの家(2021年製作の映画)
4.6
 ディズニーって間違いなく、王制を持たないアメリカにとっての「王室」なんですよね。
 そんでもって、君主制や絶対王政のない現代における無力化した王室の役割は何かって言うと、日本もそうなるんだけれど、「国民の象徴」たるべきこと。
 じゃ、「国民の象徴」ってどういう意味? って言うと、それはその国家の国民が目指す「理想の家族」なのですね。
 つまり、ディズニーという「王室」は、アメリカ国民にとっての「理想の家族像」を常に提示する機能を持ってきたのです。
 
 だから、古典的ディズニー・プリンセスの時代においては、「アメリカが唯一実現しえない『アメリカン・ドリーム』(という逆説が非常にシニカル)であるところの、"They lived happily ever after"をずっと描いてきた。
(いや。「実現しえない」のは、王族としての「めでたしめでたし」だけであって、そうじゃないそれぞれの男女がそれぞれの立場で「幸せに暮らしましたとさ」は全然実現できるんですよ。だから、つまりは、「アメリカの理想は、男女が結婚して子供を授かって、幸せに暮らすことだよ」ということを訴え続けてきたということ。まあ、アメリカ映画の歴史においては、グレース・ケリーみたいに実際に王室に嫁いじゃった例もあるけどさ)
 
 ディズニーの偉いところは、自分がアメリカにとっての王室であることに、いつの頃からか自覚的・意識的になってきた点。
 「いつの頃からか」などと書きましたが、それは歴史上明確であって、1989年ですね。
 「リトル・マーメイド」から始まる、いわゆる「ディズニー・ルネッサンス」の時代。
 いや、その時代のディズニーに実際に「王室としての自覚」があったかどうかは、わからない。しかし、低迷期を迎えていたディズニーが従来の既定路線では会社が存続できないと思って、冒険に出た結果がディズニー・ルネッサンスじゃないですか。
 ディズニーは、そのルネッサンス期に、従来の"They lived happily ever after"に収まらない、その時代時代の先端思想を盛り込んだ物語を次から次へと提示してきた。そしてそれらが観客に受け入れられたという事実は、結果として「新しい王室の在り方を模索し、提示し、そしてそれが国民に受け入れられる」という、「王室の体制転換による存続」に成功したということなんです。
 
 その時代を乗り越えたかと思えば、今度は、自分の子会社が最大のライバルになるという難局に陥り、それでも何とかブランド・イメージ(=王室としての権威)を維持しているのがディズニーのほんとに偉いところ。
 まあ、我々映画ファンはディズニーとピクサーを厳然として区別してるけれど、真の観客たる子供たちには両者は同じものだし、ジョン・ラセターがディズニー作品に関与するようになって以降は、映画ファンにとってもやっぱり両者はライバルというよりは、「どっちもいいよね」ということになったんですけどね。
 その意味ではMe Too運動で去ってしまったジョン・ラセターさん以降のディズニー/ピクサー、どうなることやと心配していたけど、今のところは安泰ですね。
 
 ああ、長くなった。ごめんなさい。
 ここまで本作への言及ゼロ。
 長々と書いたことを一言でいうと、結局書き出しの一文と同じく「ディズニーはアメリカの王室である」ということ。
 
 その観点で本作を観ると、まあ、さすがはディズニーとも思えるんだけれど、モヤモヤすることも間違いない。
 劇場で予告を見た時点で、「『2分の1の魔法』(こっちはピクサーですが)に続いて、またしても面倒くさそうなセッティングの話をやるんだな」と思った。
 どっちも「魔法」を中心に据えてる物語なんだけれど、なんというか、セッティングが地味なんですよね。
 でもって、物語の推進力が弱い。ん~と。違うな。「どういう方向に物語を持っていくのかが、結構長い時間見えにくい作品」というほうが合ってるかな。
 
 ディズニーという「王室」が歴史上のどの「王室」より優れているのは、それが「魔法」を持っていること。
 本作の邦題には文字通り「魔法だらけ」というフレーズが使われているし、原題の"ENCANTO"は英語では"ENCHANT"ですよね。
(原題がその過去分詞"Enchanted"だった例のエイミー・アダムスの出世作もやっぱり「自分を客観視できるディズニーの底力」を目の当たりにできる傑作でしたね)
 
 だから、「2分の1~」と本作は、「ディズニー王室における特権である『魔法』の再定義・再解釈・相対化」だと思って見てたのです。
 言い換えると、レジームの転換。
 これは、今やディズニー傘下に入ったスター・ウォーズで言えばEP8のラストに描かれた「フォースは特権的なものじゃなく、誰にもあるんだよ」と正反対なのに、テーゼとしてはまったく同じ「魔法なんて特権的なものがなくっても、みんな輝けるんだよ」ということ。
(余談だけど、SWのシークエルは物語がグダグダなんで、EP8のそのメッセージとベニチオ・デル・トロさんはEP9で全然拾えてなかったよね!)
 
 つまり、「魔法が特権的なレジーム」から、「魔法が使えなくってもいい民主主義的レジーム」へ転換する物語だと勝手に思って観てたわけですよ。
 いや、「勝手に」は違うかな。定石として、そう見えるように描かれてるから。
 そしたらさ。最後の最後、結局アンシャン・レジームの復活で終わるじゃないですか?
 かなりモヤりますよ、そりゃ。
 ディズニーどうした?! って思っちゃいましたよ。
(満点じゃないのは、それが理由)
 
 それでも本作が素晴らしいのは、リン=マニュエル・ミランダさんによる楽曲とミュージカル・シークエンス。
 それって、全然喧伝されてませんでしたよね? 全然知らなかった。
 だから、エンドクレジットでリンさんの名前が出た時に、「なるほど~!」と声出ました。
 日本では「今年の漢字」は「金」だったけど、アメリカ映画の「今年の一語」は「リンさん」ですよ。
 「キン」じゃなく「リン」ね。
 ほんっとに今年は、映画界におけるリン=マニュエル・ミランダさんの豊年ですよ!