Habby中野

裸足で鳴らしてみせろのHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

裸足で鳴らしてみせろ(2021年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

とんでもない映画だ。日頃自分の見うるあらゆるフレームを越えた、大きく異質で拡張的で、しかし緻密で共鳴的で些末なフレーズ。映画と化した世界。
世界を音で辿る。その地ではなく、この地のまま歩む地球は限りなく脆い”イメージ”だ。でもイメージは音となり、この地はその地と共鳴する。形の無いもの、ここにあるもの。背を下にして浮かべば水の音だけが聞こえる。クロールより背泳ぎの方が楽だ、でも、泳ぎ方は知らない。
”salvation daughters”は架空のバンドで(たぶん)、”南米までイグアスの滝を見に行く”映画は実在しない。しかし人はそれを『ブエノスアイレス』だと空目する。そして今作との共鳴を感じる。あの色彩、逆さまの世界、衝突、タンゴ──それが形の無い音、イメージだと思う。
不用品回収と崩れていく不用品回収会社。”家族”という形式の暴力性。抜かれる預金。暴力と化さざるをえない愛。盲目と未知の座標の刺青。”約束”のノー・フューチャー。具象が抽象の肩代わりをしている。
「裸足で鳴らしてみせろよ」
全てはイメージの楔だ。この身体は私のものだが私ではない、この地は世界だが南米ではない。だけど運命に抗う。形の無いものが共鳴するために、音を鳴らす、身体をぶつける。痛い。
座標が指す地は「アンテロープキャニオンの光」。雨と風で削れた谷に差す、今、ここで、音でたどり着く光のぬくもり。
かつてディストピアかのように不用品回収案内をアナウンスしたテープレコーダーは、世界のイメージを旅したものに変わった。
青年たちは、一方は未来を信じず、泳ぎ方を知らず、もう一方はそれを信じ、知っていた。心からの共鳴と、身体の不協を経て、彼らは道に並び、別れる。その間には世界の音が鳴り響く。二人の鳴らした音が。
世界はまだ具体的すぎるのかもしれない。
Habby中野

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