Kuuta

都会のアリス 2K レストア版のKuutaのレビュー・感想・評価

4.1
・冒頭、空を飛ぶ飛行機はピンボケしている。カメラは左下へパンし、アメリカ西海岸の海を映し出す。浜辺に佇み、その風景をポラロイドカメラで収めた男の顔は不満そうだ。

主人公は目に見えたアメリカを記録できず、文章にも出来ない。アリスとの不思議な旅を通して、今作のカメラは車窓の風景=目の前の現実を収めていく。やがて彼自身がアリスによって被写体となり、写真に反射して重なる顔、証明写真越しに笑い合う顔、「虚像と虚像」のコミュニケーションが彼の筆を進めていく。

彼は西海岸の海で泳がなかった。風呂に溜めた水を抜いて、アムステルダムでも遊覧船から降りる。母国ドイツで初めて、アリスと一緒に川で泳ぐ。

ドイツの山々、その間を走る列車と、並行して流れる川。冒頭の対比として、ラストのカメラは右上にパンしながら、ドイツの大地を捉えていく。旅がどこで終わるのか分からない。この川がアメリカの海に繋がっている筈もないが、彼らが列車を降りる事はない。

・理想を求める事とは、映画を追いかける事。アリスの記憶を頼りに、あるかないかも曖昧な場所に向かう2人。終盤、ジョンフォードの訃報が入り、「理想のアメリカ」は映画の中にあって、ヴェンダースもそれを追い求めていたんだなと感じた。「東京画」で「小津的な東京の喪失」を撮ったのと、精神は一緒だ。

そもそも小津の東京なんてものは実在しないのだけど、その虚構に恋焦がれて映画を撮ったり、見たりする。主人公は「独り言を聞いている人はいない」的なセリフを呟くが、観客はそれを聞くわけで、メタなセリフだと思った。彼は「映画を見る事=映画を撮る事」についての映画を撮っている。

・私も昔アメリカに留学した事があり、生活のあるあるネタ的に楽しめた。アメリカ映画は大好きだったけれど、日常はどこまで行っても日常だし、クソみたいな地元のテレビ番組には何故かイラついたし、(作中だとアムステルダムの話だったが)地元の床屋に行くのが物凄い不安だった。でもふとした瞬間に「俺が見たかったアメリカ」が見えた気もして嬉しくなってたなあと。

「故郷のような異国」としてのアメリカ。ブエナビスタ・ソシアルクラブのハバナも、「ベルリン・天使の詩」の西ベルリンもそうだ。自分自身は空っぽのまま、今いる場所に対して違和感や虚構っぽさを感じたまま、此処ではないアメリカに憧れ、同時にアメリカに失望する。ドイツ同様、敗戦とアメリカによる復興を経験した日本人にはしっくりくる感覚だと思う。
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