Ricola

都市とモードのビデオノート 4K レストア版のRicolaのレビュー・感想・評価

3.7
「東京人間っていう言葉が好きで、なんだか無責任な感じがしてそれがいい」
自分の言葉で日本語も英語も紡ぎ出す山本耀司。洋服のデザイナーとしての彼だけではない、彼の思考にまで少し触れたように感じる。


人について考えること。耀司は人そのものを見つめることが好きだという。「20世紀の人間たち」という写真集を捲りながら、服はもちろんのことながら人の顔について語る。この時代特に服は職業と密接に関係していると話しつつ、顔からも経歴・人生が見えると彼は言う。「服ではなく現実を着ている」
「この人たちは服とともに一生を過ごしている」
耀司にとって服を考えることとは着る人間に馴染む、人生そのものになりうる服を形にすることなのだろう。

耀司という人間を深堀りするかのように、またはタイトルの「ビデオノート」の役割を果たすかのように、同時に複数の画面を映す演出が何度か見られる。
映写機に耀司が自分の描いたデザインを元に布に息吹を吹き込んでいく様子を映像に映しながら、小さなビデオカメラ(アイモ)に映るヨージのインタビュー動画が手前にある。耀司の具体的な行動と彼の考えという2つの側面を我々は同時に立ち会うことになる。
また、パリコレのステージの下に、映像が2つ浮かび上がる。
左にヨージが服のデザインを投影してから舞台の準備の慌ただしいなかでひっそり座って見守っている様子、右には耀司のインタビュー映像があるのだ。洋服がここにあるのは、裏方の努力と耀司の指針ゆえなのだ。

「永遠のクラシック」を愛するという耀司は、左右対称なものは壊したくなるというほど、左右非対称を愛するという。
彼のインタビュー映像が映るどこかのアパートの部屋が現れるシーンがある。その映像が映るテレビの右側には本棚が、すぐ左には窓があり外の景色がはっきり見える。
これだけでも十分アシンメトリーな構図のショットだと思うが、さらに窓のそとの景色でも窓枠が境目となり、右と左とでは外の雲の色が違うなど、その小さな「スクリーン」のなかでもさらにアシンメトリーに構成されているのだ。耀司の偏愛を、映像そのもので示している例だろう。

「耀司は終わりのない映画を撮る」
耀司の洋服作りは、映画製作と似たところがあると、ヴェンダースは言う。
世界的デザイナーの山本耀司の思考や仕事を、都市に漂流しているかのような感覚をもたらす映像とともに我々はひたすら見つめる。
Ricola

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