dm10forever

試合のdm10foreverのレビュー・感想・評価

試合(2020年製作の映画)
3.8
【神様の独り言】

実はdm、こう見えても(どう見えても?)人生の大半をサッカーと共に過ごして参りまして、まぁここ数年はバタバタして中々出来ていませんが…というか、年齢的にも任意引退状態😅
てな感じで、現役バリバリの頃は自分でチームを作って代表もやってたし、審判の講習にも参加して、一応地域リーグレベルなら実際に試合で審判をやったこともあります😁

でもね、僕がサッカーと出会ってから、はや40年弱。
その間、世界のサッカーシーンは目まぐるしく変化していて、実際にプレーしていながらも「去年まではOKだったプレーが今年からはファウルになる」なんて事は珍しくなかった。

ゴールキーパーへのバックパスが禁止になったり、オフサイドの定義が変わったり、ボールを遠くに蹴り出しても代わりのボールがすぐ出てくるようになったり…。
その中でも、近年最も大きな改革(革命といってもいい)が『VARの導入』。

もっとも、この技術が適用されるのは国内のトップリーグやワールドカップなどの国際試合などに限定はされているけど、これによって「人間の目では見逃してしまうような些細な瞬間」すらも多角的に判断できるようになった。

…でも、個人的にはちょっぴり複雑。

サッカーに限らず、スポーツってね、実は「素晴らしいプレー」と同じくらいの割合で「ちょっとしたミス」が試合を動かす要素になっているのよ。
で、それは選手だけに限った事ではなくて、選手交替のタイミングや指示を行う監督にも言えることだし、もちろん審判にも言えることだった。

66年ワールドカップ決勝での誤審や、85年トヨタカップのプラティニの超絶ボレーの取り消し、そして86年ワールドカップでのマラドーナの「神の手ゴール」なんかも「誤審(?)」と言われているけど、でも、それも含めて「サッカー」だと思っているから。

特に審判なんて一瞬の判断で白か黒かを決めなければいけない重責を背負いながら、ピッチの中ではたった一人で戦っているんですよ。

ある意味では「孤高の存在」

でもね、審判は「絶対」なんですね。
どんなに判定が間違っていたとしても、それも含めて「サッカー」なんだと(不正とは違うよ)。
だから、意外とそういうシーンって印象に残ることが多い。

VARみたいにピッチの外にも味方がいるってのは、審判からすれば有難いことなのかな…。

やっぱり僕は審判の「絶対不可侵性」ってどこかに存在するべきだと思うんですよね。
この作品に出てくるレフェリーは的確に試合をコントロールしていたと思う。
難しい判断もキチンと自分で行っていた。
だからこそ、不完全な部分も含めて「審判」を尊重すべきなんじゃないかな…と。

個人的にはVARは「あっても良いけど無くても困らない」。

選手は人間。
審判も人間。
不確実なものたちが、如何に「確実」に近づくことが出来るのか?
それがスポーツの高みなんだと思う。
そこに機械などの技術が介入すると、途端に味気なく感じてしまうのは僕だけだろうか?

ラストで帰路に着く審判が父親と話をするシーン。
「父さんが来るといつも何か起きるよ」
「でも、いい試合だったぞ」
そんな風に感じられるのは「自分」がそこにいたから。
短いけど人間味が溢れる素敵なシーン。

普段はなかなかレフェリーにスポットライトが当たることはないけど、審判が目立つ試合はダメな試合とも言われる。
逆に審判の存在感がなく、それでいてスムースに試合が進んだとき、それは結果に関係なく好ゲームであることが多い。
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