欺瞞に満ちた空気の中で窒息しそうな不器用な長女。
欺瞞の海を優雅に遊泳する三女。
そして
病に臥せり、現世にうなされながら〈幸福な瞬間〉を夢見る次女。
次女の日記にこう綴られている。
“人生で最高の贈り物をもらった。
人の優しさや思いやり。
ぬくもりや愛情。
これが神の恩寵なのだ”
寄り添うことが愛ならば
何故、神はこんな仕打ちを与えるのか。
神は沈黙する。
痛々しい叫びとささやきには耳を塞ぎたくなる。
そして、沈黙。
【繋がりに恐怖する】
これをアリ・アスター監督が再構成すると『ミッド・サマー』になるのか…。
やっぱあのお方は病んでるわ笑
私は『叫びとささやき』を観ても尚、
愛されるより愛するほうに
幸福な瞬間を見つけられるけどなぁ。
まあ“触れ合いたい”ではなく“触れたい”という意味だから、これだって欺瞞だけどさ。
でもあまりに欺瞞から遠ざかると、待つのは『地獄の黙示録』の世界だから、バランスが必要だ。
だって『ミッド・サマー』も『地獄の黙示録』も最後には灼き尽くす羽目に陥っているじゃないか。
自分諸共ブッ壊したくなる気持ちも、
次女が「時よ止まれ」と願う気持ちもよく分かる。
でも私はもうちょっと諦めが悪い。
繋いだ手が時々解けてもいいじゃないか。
気が向いたらまた繋げばいい。
繋いだその瞬間は嘘じゃないのだから。
だからこの映画が好きです。