Masato

オッペンハイマーのMasatoのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.6

2回目鑑賞 ドルビーシネマにて (2024.04.18)
IMAX向け映画ではありながら、画角がコロコロ変わらないおかげで皮肉にも物語に集中できた。音はIMAX以上の迫力。初見はIMAX GT、2回目でドルシネは正解だった。

2回目でも終盤のロッブさんの問い詰め→2回目のピカドンあたりのシーンの情報量の凄まじさには追いつけなかった。吹替で見たい。

オッペンハイマーがなぜあの時、原爆の兵器利用を必死に止めようとしなかったのか。その理由を描きながら、執拗に問い詰めていく映画だった。実験前には後に訪れる罪と罰の予兆、後に抱く罪悪感と重ね合わせながら彼の自分勝手で独善的、不安定で人間として幼稚な性格を瞬間的に描いていく。凄まじい編集スピードすぎて見逃してしまったシーンもたくさんあった。

実験後には彼の抱いた罪悪感、道徳的呵責を鋭いナイフでグリグリと抉るように描いていく。ほら言わんこっちゃないとばかりに。これらの描写は他者として描くのではなく、オッピーになったつもりでホラー演出として描くことで他人事ではない領域へと誘う。この未来と過去のさながらテネットの挟撃作戦的な物語構成で、ちょうど中盤に位置するオッピーがヒトラーの死後、原爆の兵器利用を止めようとする科学者たちのシーンから実験シーンまでの彼の振る舞いを徹底的に糾弾していく。また、赤狩りによって罰せられることで殉教者として散っていこうとする姿にも独善的な感覚を得られる。

彼はキティの言う通り、彼の犯したことの結果に同情する余地はない。だが否が応でも彼の脳内に入り込ませ、執拗にいじめ抜いていくことで、彼に対するネガティブイメージがない。他人事として考えさせない。自分事として考えさせていく映画の魔法だった。

いつにもまして劇伴が強調されているのは、彼の感情をあのスピード感で映像のみで表現することが難しかったというのもあったと思う。逆に言えば、それくらいに彼の感情を的確に表現している劇伴でもあって、ルドウィグ・ゴランソンの作曲センスは稀有である。


↓初見時

プロメテウス

言わずと知れた本年度の話題作。3時間に及ぶR指定の難解な伝記映画ながら960Mドルもの興行収入を記録したとんでもない映画。時系列を弄りまくることで有名なノーラン監督だが、インセプション並の入れ子構造の時系列に、テネット並の難解さを加えたような映画で、当時の歴史を知らない人はもってのほか、知っていても混乱する作りで一回見ただけでは理解することは至難の映画だった。

自分はNHKの映像の世紀や量子力学の基本、登場人物のバイオグラフィー、オッペンハイマーの身の回りで起きた歴史をざっと調べてから挑んだので多少混乱は防げたと思うが、特に後半でのストローズの公聴会とオッペンハイマーらへの尋問は圧倒的な情報量でお手上げ状態。しかし、その難解さを遥かに凌駕していく映画体験には流石ノーラン監督といったところ。

描かれていること、伝えたいことはいくつか存在しているとは思うが、自分がまず感じたことは神話的だなと感じたこと。オッペンハイマーを人類に火を与えたプロメテウスと重ね合わせて描いているとおりに、彼が原子爆弾というものを作ってしまったがために、それ以降の世界の在りようが変わってしまい、赤狩りの名のもとに罰されていく。世界の手綱を握っていた彼は人を超えた何かように見えることもあった。

人類が原子爆弾を持つにはあまりにも早すぎた。人類がこれをどのように用いるか、そしてどんな世界になってしまうのか、それを理解していなかった。よりよい世界に繋がると信じていた行動が破壊へと悪用されたことに対する人類への絶望、憐れみが存在していたと思う。

しかしまるで神のように描かれているのかと言うとそうではない。脆い側面も見せていく。原子爆弾が世界に何をもたらすのかも薄々気付いてはいたのに、作る手を止めなかったこと。広島と長崎で起きたことに対する罪悪感が襲いかかってくる。私は本作のオッペンハイマーを「神から類まれなる才能を授けられたが、それに苦悩する人間」と捉えた。

「我は死なり、世界の破壊者なり」と引用する実際の映像が個人的にものすごく印象的なのだが、あの虚ろな目でなんとも言えない表情をしている訳がなんとなく理解できたと思う。

オッペンハイマーに限らず、何かを作りだす者、ノーラン監督自身を含めたクリエイターに対する警鐘ともとれた。自分の生み出したものが世界にどのような影響をもたらすのか。一瞬の決断で大きく変わってしまう。その恐怖をその身を持って体感した。

映画について、圧巻のクオリティ。今回のIMAXは当然トリニティ実験のシーンにも使われているが、俳優のクロースアップにもふんだんに使われている。そのキャラクターの内面に引きずり込むような感覚を得られ、俳優の微細な表情をキャッチする。苦しみに溢れた彼の内面に迫るシーンは至上最高にホラーだった。新たなIMAXの使い方。

音響やルドヴィグゴランソンによる劇伴も最高に素晴らしかった。早いスピードで沢山の情報が流れていく映画に彩りを加え、オッペンハイマーの感情の変化を見事に捉えていく音楽。ノーランは作曲の才能を存分に引き出す。そして、彼のの脳内で繰り広げられる核分裂などの化学反応を映像化したときのビジュアルも凄まじいが、音に圧倒させられる。中盤の爆弾投下後の演説シーンの音響は随一。罪悪感に追い詰められていくあの感覚が恐ろしいまでに伝わってくる。


追記 ここに思ったことをつらつらと…
一人称脚本である弊害があったように感じた。本人が見てない、あえて見てないから映さないということが良い作用を生み出してもいたけど、逆に描かれていないところも多いということが解説などを聞いてわかった。

そして原爆よりも赤狩りのほうが印象に強かったこと。これは本人が赤狩りで迫害されたことのほうが辛いという意味合いもあるとおもうけど、原爆はオッピーが作らなくても誰かが作っていたことや、すでにナチスを含む世界が作ろうとしていたこと。そもそも原爆はオッピーだけが作ったものではなく、ライバルのアーサー・ローレンツ含む天才学者たちとの巨大グループで作ったということ。もちろん使用したのはアメリカ政府。これを彼の一人称脚本の性質上、罪を描きすぎるとオッピーだけに背負わせる形になって、アメリカ政府自体の罪を矮小化しかねなくなる。

なのでこのあくまでもオッピーの内面にフォーカスする形をとったことはかなりフェアだなと感じた。もし原爆の罪を描くなら、政府の関係者たちもより深く描いて沢山の群像劇にしなければならないと思う。彼が日本に訪れた時に答えた「実験に参加していたことは後悔していないが、それは日本に申し訳ないと思っていないわけではない」という言葉の裏付けにもなったと思う。オッペンハイマーの罪は「原爆を作ってしまった」のではなく、「原爆を作るのを止めなかった」ことにあると私は思う。

そして過去を描いているが、実際は現在や遠い未来を見つめていることも監督らしいなと感じた。監督はどの作品でも後ろに振り向き続けない。必ず遠くを見つめる描写を挿れる。WW2のダンケルクでも然り。わたしたちはオッピーが後悔として憂いだ未来に生きているということを考えさせられる。一挙手一投足、考えさせられる。
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